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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

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教育再生会議批判


教育再生会議は主に初等教育の課題を扱っているようなんだけど、小学校や中学校の教師が1人も入っていない。義家弘介だって元高校教師だし。

少なくとも戦後の教育は、程度の差はあれ、先進国ではおおむね、世間にただ流されているばかりではない人材を育てることに注力してきた。「親孝行」や「奉仕の精神」よりも、生徒が自らの頭を使って考えることの方が、教育の遥かに重要な課題のはず。

だって、子供たちを待ち受ける未来を、大人たちは予測できない。今から100年位前に、人類が発明できるものは全て発明された、とかいう理由で、アメリカでは特許制度の廃止が議論されていた。未来って本当にわからない。

儒教文化の東アジアって、子供を老成させようと焦り、型にはめようとするところが強すぎたので、人材育成の面で、初等では子供を子供らしく育てる西洋の近代教育にまるで歯が立たなかった。

日本ってまた同じことで躓きそう。美しい文体の手紙を書けても、思考力そのものは貧弱だった旧日本軍の軍人みたいにね。

性別による役割分担とアニメでの表現


子供は生きている社会での価値観で社会化され、それらの価値観に馴染まないかぎり、子供は社会の真の構成員と認められない。

教育は学校教育に限定されない。子供や ― そして大人も ― 見るアニメ作品も、子供たちが生きる社会の価値間を反映しているのであり、子供の社会化に影響を与える教育だ。そして、1970年代頃まで、日本のアニメ作品には保守的な男女関係が描かれていた。

1973年に世に出た『キューティーハニー』は闘う女性が主人公とした、日本発のアニメ作品だが、社会における役割を男性と比較していないので、本論にとって重要ではない。

1974年に、主に男児を視聴者として想定した、『宇宙戦艦ヤマト』が放映された。宇宙から侵略す強大なガミラス帝国、核爆弾で放射能汚染された地球、そして、地球を救うためにガミラス帝国と戦う宇宙戦艦大和 ― この構図は、太平洋戦争中のアメリカと日本の関係を、日本の側から一方的に見た構図に似ている。男たちが前線で戦い、女に大した役周りはない。女はせいぜい、男の恋人であったり、負傷者の手当てをする看護士くらいだ。この作品で前線に一番近いところにいる女は森ユキで、彼女は看護士だ。

1979年には、『キャンディ♥キャンディ』がテレビ放映され、空前の当たりとなる。この作品での女たちは物語の中心にいるため、かなり生き生きと描かれてはいるものの、主人公たるキャンディも自らの人生の展開と幸福の追及で大きく男に依存している。奇しくも、キャンディもまた看護士だ。

アニメ作品は子供に性別ごとの役割モデルを提供していた。アニメ作品は学校教育よりずっと保守的だった。

1984年の『風の谷のナウシカ』は画期的な作品だった。闘う男たちが何人もいる中で、少女ナウシカは前線で男以上の立ち回りを見せ、彼女の行動が人類を救う。環境問題の解決に加えて、男女同権に向けて前進する社会の気運が、この作品には色濃く反映されている。

これ以降、闘う女性を描くことに躊躇しないのが、日本のアニメ作品の1つの特長になった。

それから20年余りが経過し、今年の『涼宮ハルヒの憂鬱』で、女性はついに神にさえなった。

日本の神話では、タカマガハラの統治権が女神イザナミから女神アマテラスに継承されたことが描かれている。女性たちが強かった古代の日本に、今の日本の社会は近づこうとしているのかもしれない。

edit

教育論 ― 外国語教育


料理を盛る器を用意していないならば、料理に取り掛かることは愚かなことだ。まずは器を用意しなければならない。

「中身のある人間」を作り出そうと教育が焦れば、結果はたいていまずいものになる。「中身」の前にまずは「容器」だ。

母国語や外国語の教育は、当然、歴史の教育より前にもってこなければならない。英語の発音は上手だが自分の国の歴史を知らない学生は、必要に迫られれば、比較的短時間で歴史の勉強ができる。一方、自分の国の歴史を知っているが英語はまったくしゃべれない学生は、必要に迫られても、英語の習得にはとても苦労する。

年齢が重なるほど、外国語の習得はどんどん難しくなる。逆に、歴史の勉強は年齢をある程度重ねたほうがうまくいく。年齢ごとに、脳の学習特性は変わる。

英語に必要なのは手順の学習で、これは幼い頃の方がいい。楽器の演奏と同じだ。

一方、幼い脳は出来事の記憶が得意ではない。たいていの人の3歳くらいまでの記憶は曖昧だ。出来事の記憶は10代後半あたりの脳が得意としている。色鮮やかな思い出は、たいていこのころの出来事の記憶なのだ。中身を詰め込みたいならば、この頃にやるといい。

教育論 ― 聖アグネス小学校の成功


いわゆる右派の方々の意見にはどうもしっくり来るものがない。学級崩壊の原因は日教組よりもむしろ、文部科学省だ。

学校で熱心に勉強し、会社の従業員として頑張ってきた世代が、リストラ解雇されて路頭に迷う ― そういう社会の現実を、子供たちは見ている。それなのに、教育の内容が社会の現実の対処していなくて、それもまた子供たちに見抜かれている。

私立の学校だが、アメリカにある聖アグネス小学校は投資家の間でちょっと知られた存在だ。聖アグネス小学校は子供たちに長期投資を教えている。いや、「教えている」というより、「考えさせている」といった方がいいかもしれない。

聖アグネスでは、小学生が株の仮想売買を行なう。主なルールは長期投資であること、および、投資対象の会社のビジネスを画用紙に描くことだ。

この教育のすごいところは、投資を扱っているということそのものではない。あらかじめ学校側が解答を用意しているような教育ではないということだ。

例えば、数学者はあらかじめ用意されていない答えを求めて、日々思考を巡らせる。会社経営でも、あらかじめ答えが用意されているのではない。人生にも、あらかじめ用意された答えはないのだ。

子供たちは新聞を読み、ニュース番組を視聴し、日々の生活を振り返りなどして、自主的にいろいろなことを学んだ。そして、専門家が推奨していた IBM以外の銘柄で大勝利を収め、ファンドマネージャーであったピーター·リンチは聖アグネスの教育を絶賛し、著書でも投資家の基本的心得として例示して いる。

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