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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

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思想の中核と辺縁 ― 先行経験の継承


マーク·ブキャナンの «複雑な世界、単純な法則»には、生物を構成する分子から国家を構成する人間まで、様々なスケールの物事に、かなり共通する法則がある旨が述べられている。結節点と経路を研究する学問として、ネットワーク科学は説得力を増しつつある。

会社に当てはまることは、ある程度、社会運動や国家全体にも当てはまる、という前提で、この話を進めていく。

ソニーのウォークマンはカセットテープを媒体とする携帯型ステレオ再生機として、市場に支持された。また、鋭い高音部を特長とする再生特性は、音楽の作り方そのものにも影響を与えたと思う。

ソニーは媒体の普及に応じて、CDウォークマンやMDウォークマンを出した。ところが、ハードディスクが普及してきたときに、HDウォークマンとなるべき 新製品開発を前に足踏みし、アップルのiPodの後塵を拝し、普及したフォーマットMP3ではなく独自フォーマットATRACに拘るなど、迷走を続けた。

ソニーの低迷は、テレビやディスプレイの分野にも見られた。"聖なる機器"トリニトロンに拘るあまり、省スペース液晶テレビに魅了される市場にそっぽを向かれた。

ソニーの失敗は経験の結果を継承しながら、経験そのものを継承しなかったことにある。MDウォークマンやトリニトロンという結果への執着は、それらの製品を開発した経験の継承をむしろ妨げた。

護憲派の失敗とソニーの失敗には似ているところがある。

太平洋戦争終結直後、少なくとも日本国内においては、日本軍は部隊レベルで自主解散した。GHQが1945年9月2日に解散命令を出したときには、日本軍の実体は既に存在しなくなっていた。憲法第9条はこの現実に対する追認だった。日本共産党以外に憲法第9条に反対した政治勢力はなかった。

個人を動員する体制に対し、個人が"否"を突きつけた経験を、大部分の護憲派はうまく継承できていない。

護憲派が今後も政治的な影響力を維持していくには、原点の再確認が必要だと私は思う。護憲派が規範とすべき事例の1つに、べ平連から派生したJATECが ある。彼らはアメリカ人脱走兵の亡命を支援した。彼らは憲法第9条についてはあまり語らなかったが、憲法第9条につながる経験の数少ない継承者だった。

日の丸や君が代を嫌う教師が卒業式を妨害するのは、憲法第9条に先行する経験の継承とは少々違う。そういう教師はむしろ、軍隊から去っていった旧日本軍兵士のように、卒業式の場を欠席すべで、生徒についても同様のことがいえるだろう。(経済の現状を考えると、400人に1人くらいが政治的な理由で卒業式への出席を拒否するのが、健全な日本社会の姿だと個人的には思う。)

朝鮮半島や中国[2007.10.28]では今でも強制徴兵制が行われている。韓国政府はほとんど韓国語を話せない在日朝鮮系の若者をも徴兵したことがあると聞く。この状況に何の 異議も唱えずに黙認し、韓国や中国の肩を持ち、日本の自民党を批判するのは、もう止めた方がいい。朝鮮半島人や中国人[2007.10.28]徴兵兵役[2007.10.28]を拒否したら、日本の護憲派は、徴兵を今でも続けているそれらの国々の政府を批判すべきだ。

護憲派は与党内にもいるが、彼らに対してもいいたいことがある。1964年の核実験で中国が核保有国になったあとも、日本は資金や技術の提供という形で、中国への経済援助を続けてきた。これではいくら護憲を謳っても、日本の国民を説得することなど期待できるはずもない。

思想の中核と辺縁 ― 憲法第9条


実は、憲法第9条は平和の理念を条文化したものではない。

1945年8月15日の終戦の玉音放送から程なく、日本軍は各部隊レベルで自主解散した。9月2日にGHQが日本軍に解散命令を出したときに、日本軍はもう存在していなかった。憲法第9条ができる以前に、日本は軍隊を持たない国になっていた。

日本国憲法の成立過程で、国会において憲法第9条に反対の意を示したのは日本共産党議員、それもたった1人だけだった。

憲法第9条は軍隊解散の経験への追認だ。

さて、平和運動寄りの人間としては稀なことだが、軍隊のみが国家主権を保証できる、と私は考えている。日本には軍隊がない。軍法会議や軍事裁判所を持たず、条件によっては隊員の脱走を効果的に防げない自衛隊は軍隊とは呼べない。自衛隊が命懸けで戦うことができることを期待できるのは、日本が侵略を受けた場合のみだ。

まとめると、自衛隊の存在は日本の国家主権を主張しているが、保証はしていない。

国家主権を保証できないのは良くない、と考えていた高校生の頃、私は改憲論者だった。

ところが、成長と共にいろいろなものが見えるようになった。

軍隊を持っている国の方が、なぜだか軍事的な理由で死ぬ国民の数が多い。

先進国を考えると、2001年9月11日に、世界最強軍隊を持つアメリカではテロ攻撃で数千人が死んだ。しかし、軍隊を持たない日本ではイスラム教徒のテロ攻撃がまだ起こっていない。

発展途上国が多い中米は長らく戦火が絶えなかったが、1949年以降軍隊を持たないコスタリカは例外的に平和だった。

アメリカが日本を守ってくれているということを否定はしない。それも軍隊をもたない日本の現実の一部だ。しかし、アメリカ軍は韓国にもいる。そして、軍隊を持つ韓国での北朝鮮による拉致問題は、日本のそれよりも遥かに深刻で、人数も多い。

intrinsic income

軍隊を持たない日本は、おそらく人類市場空前の復興と高度成長を成し遂げた国でもある。戦前の50年の成長を、戦後の10年が上回っている。

jevenile murders

また、日本は"犯罪天国"といわれるにもかかわらず、犯罪率が低く、少年による殺人犯罪率は低さは驚異的だ。デーン·アーチャーとローズマリー·ガートナーは共著«暴力と殺人の国際比較»で、戦争を遂行する国の犯罪率が一般に上昇することをつまびらかにしている。日本を戦争しない国にしている憲法第9条は、日本の治安維持にも貢献している。

憲法第9条を変える必要があるだろうか?

国内でも約300万人の戦争犠牲者、戦後の復興と高度成長、良好な治安などの具体的な経験を、偏狭な民族主義の理念で否定するのは愚かだ。それらの経験を覆すほどの大きな経験がなければ、憲法第9条を変えてはならない。

思想の中核と辺縁 ― 共産主義と資本主義


日本語の"共産主義"という言葉はドイツ語の"Kommunism"を訳したものだが、共産主義そのものはもっと古くからある。有名どころとしては、プラ トンが実際にシチリア島で実験的に共産主義社会を作ったこともある。キリスト教の新約聖書も金銭交換と個人所得の廃止を説いていたのだから、一種の共産主 義思想で、トルストイはキリスト教共産主義の実践を目指していた。

共産主義と唯物論は可分だ。プラトンのイデア論はどちらかといえば非唯物論、キリスト教はどちらかといえば唯物論だから、マルクスの共産主義はキリスト教の方に近い。先の大戦中のドイツや日本の国家社会主義も共産主義の一種で、やはりキリスト教の方に近い。

思想として始まっている、というところが、共産主義諸思想の共通点だ。共産主義は理念先行の考えかただ。

オランダで16世紀頃、事業の遂行者と事業の所有者が分離されたことが、一般に、資本主義の始まりだとされる。

共産主義初期にプラトン、キリスト、トルストイなどの思想の大家が並んでいるのに対し、資本主義初期にはそういう大家がいない。アダム·スミスすら、他国 の船の入港制限を唱え、労働価値説の基礎を築いてマルクスにも支持されているのだから、思想としての資本主義の創始者とはいいがたい。

資本主義は思想として始まったのではないため、経験先行の考えかたとなっている。

理念が先行する組織では、理念の現実のギャップを埋めるため、強制的な手段に頼りがちになる。ローマ教皇に異端審問官が必要だったように、レーニンには秘密警察、戦中日本の天皇には特別高等警察が必要だった。

一方、もともとの資本主義にはそのような理念強制機構は存在しない。

自由放任な資本主義は実のところ、短命だった。1929年に自由放任な資本主義は終わった。アメリカでもフランクリン·D·ルーズベルトが全金融機関の国 営化という共産主義手法で危機に対処した。自由奔放な資本主義の再提起者として知られているフリードマンすら、"我々は全てケインズ主義者である"といっ て、ルーズベルトを支えたケインズを讃えている。

1991年にソビエト連邦は崩壊し、冷戦は終わった。資本主義は年金や社会福祉など、共産主義の一部を経験的に取り込み、対立を生き延びた。

資本主義が生き延びた理由は、思想としての資本主義が思想としての共産主義に優れたためではない。重要なのは中核ではなく辺縁であり、理念ではなく経験なのだ。

思想の中核と辺縁 ― 前置き


4世紀末頃から14世紀末頃までの約1000年が、ヨーロッパにおける中世だ。この頃、ヨーロッパは比較的貧しかった。

11世紀のイスラム圏では医学も進歩していて、外科手術も行なわれ、精神病院さえあった。イヴン·シーナーの医学書は、後のヨーロッパで17世紀まで大学で使われていた。

制度としての社会福祉が誕生したのも、バグダッドにおいてのことだ。

当時のヨーロッパで、最も多くの蔵書を保有していたのは修道院で、1つの修道院に5冊くらい本があった。一方、イスラム圏の大都市バグダッドでは数千冊の 本を売る書店がいくつもあった。イスラム圏では古代ギリシア人の著作物が大量に流通していた。多神教的な古代ギリシアとイスラム文明はもちろん、相容れな いはずだったが、当時のイスラム圏で世俗と宗教はかなり分立していたことになる。現実をさほど強引に理念に合わせようとはしなかったのだ。

西ヨーロッパの近代化に大きく貢献した人物の1人に、マルティン·ルターがいる。彼はカトリックに挑戦し、プロテスタント教会諸派の源流を作った。これに より、カトリックは相対化され、政治は教会と距離を置くようになり、理念的だった西ヨーロッパは経験的になった。イスラム圏が持っていた大量の書物がアラ ビア語からヨーロッパ諸語に翻訳され、ルネサンスの肥やしとなった。そしてヨーロッパとイスラム圏の実力はやがて逆転した。

社会において思想を実践しようとするときに、色々なことがうまくいかなくなる。思想と社会の現実はどこかで矛盾する。そこで理念的に ― 時に暴力などの強制手段を用いて ― 物事を思想に合わせようとするのか、それとも、経験的に妥協点を探るのか、そのあたりが社会における思想の最大の問題だ。社会思想に関する主要な問題は、 思想の中核にではなく、辺縁にあるのである。

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