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経済思想と経済実体 ― 労働価値説についての雑記


「コンバインやトラクターから余剰価値を引きだせるか?」と、「コンバインやトラクターの購入にかかった費用がコメの価値にに加味されるか?」は、全く異なる問いだ。前者は経営学的な問いであり、後者は経済学的な問いである。

コンバインやトラクターを用意しただけでは、コンバインやトラクターを購入した農場経営者の視点からは、コンバインやトラクターに内在する価値を超える余剰価値を手にすることができない。余剰価値を手に入れたければ、農作業に従事する労働者を雇い入れる必要がある。

労働者を雇い入れることで初めて余剰価値を手に入れる可能性が出てくるのであれば、コンバインやトラクターが余剰価値を生み出したのではなく、労働が余剰価値を生み出したことになる。

この考えでは、コンバインやトラクターそのものが余剰価値を生みだしていないことになるので、それらは受動的手段と見なされる。

コンバインとトラクターがコメを作るのに必要な労働を減らすのであれば、コンバインとトラクターを使うと、コメの価値は下がる。ここで重要なのは、コンバインやトラクターを作って作ったコメのみならず、あらゆるコメの価値が下がるということだ。

コンバインとトラクターを作って10人で作ったコメも、コンバインとトラクターを使わないで100人の手作業で作ったコメも、同様に価値が下がるのであれば、コメの価値を決めるのは、支配された労働ではなく、投下された労働ということになる。マルクスの言葉を使っていうと、コメの価値を決めるのは労働力ではなく、労働である。

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