20世紀初頭あたりのハイポリティクス略史
1904〜5年
日露戦争。イギリスとアメリカによる経済援助に支えられた日本が、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、ポーツマス条約により韓国の保護権を取得する。また、これを契機として、日本に対する全ての不平等条約が改められる。
1910年
日本による韓国の併合。厳密にはポーツマス条約に違反しているが、当時の列強はそれを問題にしていない。1914〜18年
第一次世界大戦。ウィルソンの14ヵ条の採択により、秘密外交の廃止、植民地問題の解決、国際平和機構の設立が取り決められる。1915年
フサイン=マクマホン協定。イギリスがアラブ人の独立を約束する。このときに独立を約束された土地には、パレスチナも含む。1917年
イギリスがユダヤ人国家の独立を認める。1919年
パリ講和会議。ウィルソンの14ヵ条の精神に沿い、秘密外交の廃止、民族自決の原則、国際連盟の設立が取り決められる。韓国で日本からの独立を目指すサンミル運動が起こるが、これを日本は武力で鎮圧する。日本はパリ講和会議の取り決めであった民族自決の原則に違反している。韓国では創氏改名が強制され、学校教育の場で韓国語の使用が日本により禁止される。1919年には中国でも民族自決運動としてウースー運動が起こるが、この運動の要求であった山東省利権の中国返還はワシントン会議において実現している。1920年
国際連盟成立。ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ポーランド、フィンランド、バルト三国が独立。1921〜22年
ワシントン会議。海軍軍縮条約により主力艦隊保有率を、米5、英5、日3、仏1.67、伊1.67と決める。四ヶ国条約により、日英同盟は解消され、太平洋における米、英、仏、日の権利が確定する。九ヶ国条約により中国の主権尊重、領土保全を約束する。このように、植民地主義の時代は終わり、もはや新たなる植民地が作られることもなくなり、中国の主権は尊重され、領土の保全は約束されていた。
日本の失敗は、植民地主義の時代が終わったにもかかわらず、植民地主義の感覚で動いてしまったことだ。
1921年
イギリスの支援により、イランが独立する。1922年
イギリスがエジプトの独立を認める。1925年
イランにパフレヴィー朝が成立する。1929年
世界恐慌の始まり。1931年
満州事変。1932年
国際連盟のリットン調査団が満州事変を日本の侵略と判定する。
日本が国際連盟を脱退する。世界で植民地の独立の流れが続く中で、日本は植民地利権に固執している。
1934年
アメリカがキューバの独立を承認する。1936年
イギリス軍がエジプトから完全撤退する。―
このように、日本の行動が歴史の流れに逆らっていたのは明らかだ。
この反省から、現在の国連中心主義という考え方にある程度の意義が認められる。
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