search this site:

Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

クラス論 ― 序


サルカールによれば、時代を牽引する大クラスは時と共に入れ替わり、一般に、クシャトリア(武人) → ヴィプラ(学者) → ヴァイシャ(商人) → スードラ(大衆) →···というスパイラルを作る。大衆時代の次には武人時代が来て、新しいターンが始まり、スパイラルが続く。

日本の場合には、日本の場合、(応仁の乱)→ 武人時代 ―(江戸幕府成立)→ 学者時代 ―(武士没落)→ 商人時代 ―(明治維新)→ 大衆時代 ―(軍国主義台頭)→ 武人時代 ―(敗戦)→ 学者時代 ―(戦後復興)→ 商人時代 ―(バブル崩壊)→ 大衆時代という変遷を辿り、再び武人時代に突入しつつある。

安部晋三のようなタカ派政治家が首相になったのも、時代の空気の実体化だ。

さて、戦争や紛争の責任を武人クラスにのみ押し付けるのは適切ではない。

学者は大きな破壊力を持つ兵器を開発するし、商人は軍需産業で儲けるし、大衆は戦争を支持し、時には体制に対してあまりに自虐的になり、戦場で命を捨てることもある。

サルカールはスパイラルの形成を必然としているが、私はあえてスパイラルの各ターンを縮小することや、スパイラルを停止させることを考えてみたい。

16世紀には93年間、17世紀には97年間、ヨーロッパでは戦争が起こっていた。第1次世界大戦、第2次世界大戦は、兵器の破壊力の増大で、深い爪跡を人類しに残したが、18世紀からの戦争頻度は減少傾向に変わりはない。

そして戦争頻度の減少傾向とスパイラルのターンの縮小または停止に相関関係が見られる。

人々がクラスを理解することで、戦争を回避できる可能性があるのだ。

>さて、戦争や紛争の責任を武人クラスにのみ押し付けるのは適切ではない。

日中戦争や満州事変は関東軍が独断で勝手に始めて後追い的に政府が認めたという経緯はありますし、当時は軍部の許可がなければ軍事大臣を置く事ができず、つまりは軍部の許可のない内閣は発足できなかった、という側面はありますが、それでも国民全てがそういった体制に反対していれば、そんな政治体制は長らく維持できなかったでしょう。

一国の軍事行動は、個々の作戦はともかく大局的に見れば、その国の世論の鏡のようです。

平和主義が行き渡っているスウェーデンやデンマークなどの国の軍隊が、勝手にロシアやアフリカで戦争を始めても、国民の総スカンを食らい、直ぐにでも物資や兵員は断たれてしまうだろうと思われる事を考えれば、ご指摘の結論は大いに妥当だと思われます。

少し横道にずれますと、日本の現在の格差拡大にしても、国民がある程度その体制を支持しているから、という側面があります。
私の経験したどの職場でも、社員やアルバイトが結束して会社と交渉し自分たちの労働環境を高めよう、という動きはあまり見られません。むしろその逆の傾向なら見られます。つまり、ある労働基準に達していない仲間を批判したり、自己批判をしたり、といった方向の事です。

政治に対しても然りで、特に裕福でない多くの若者も、再分配を強く望むのは良くない事である、道義にもとる、情けない事である・・・といった考え方を持っている人々が少なくなく、共産党にはそこまで票が入りません。彼らが特別右派だから、という事もありません。


時には体制に対してあまりに自虐的になり

同意。


>私はあえてスパイラルの各ターンを縮小することや、スパイラルを停止させることを考えてみたい。

激しく同意。

小さなスパイラルはより大きなスパイラルによって停止される事もあります。
ある数億年を見れば恐竜は巨大化の一途を辿り、その傾向を当時の人が見れば、このまま永遠に大きくなり続けるのではないかと思ったかも知れませんし、イギリスが勝利したりフランスが勝利したりを繰り返す百年戦争の当時の人は、このスパイラルが永遠に繰り返されるのかも知れない、という感慨を抱いたかも知れませんが、実のところ別の要素の成長がだんだんと著しくなり、それがこれらのスパイラルや傾向に終止符を打ちました。
生命もその日々の活動がスパイラル化していますし、株や景気の変動もある程度上下のスパイラルを成しますが、いずれより大きなスパイラルまたは傾向に影響され、または内部の別要素の蓄積により終焉する事になります。人間は外部から殺されなくても自分の体において死に向かって行きます。

大きな視点のスパイラルから見れば、武・学・商・衆(というスパイラルが仮に妥当であったとしても)というサイクルも、ある時期の特殊な回転に過ぎず、一時的なものに見えてしまうかも知れません。

上記スパイラルを壊す可能性要因として、巨大隕石の落下だとか、地球環境の死滅といった外部的なものを除き、可能性を見るとしたら、そこに所属する人間の賢さの進化です。

これがうまく作用すれば、武により戦争が起こったり、知により悪用される思想や科学が興ったり、または商による格差の拡大と道徳の低下が起こったり・・・といったサイクルではなく、武力を持っていながらも国民が反戦の考えを貫き緊急時のみのガードマンとしての役割を果たし、または国境が消え国際紛争の懸念がなくなり、知が進んでも人々に必要な学問のみが発展し、その悪用には常に気を配られ、商はただ日常に物品を効率よく供給するに止まり、福祉が人々を守り・・・といったものになる事も可能です。

もし人々が近視眼的に、そして短絡的に、十数年前の事しか覚えていず、また二分法的な考え方しかできず、武力に失敗したから、これからは学問だ、とそれに無批判に飛びつき、それに失敗したら商業だ、とこれもその負の部分を忘れ飛びつき、それに失敗したら商や知の良い部分も否定して、衆の時代に入り・・・という状態になり、スパイラル化は避けられないかもしれません。(必ずしも上記の順番かどうかは分かりませんが)

大きな政府、小さな政府という政治レベルの争い、共産主義、資本主義というイデオロギーレベルの争い、武官か文官かという宋の時代のような二分法・・・これらも上記の類だろうと思われます。


もし人々が賢くなるならば、武の必要性と危険性を同時に考え、商に対しても然りで、学は正しく活用され、社会主義的な考えと自由主義的考えがうまく混ざり合い、または均衡し、適材適所を考えられ、またはある良いものと悪いものがセットになっている時はその総合的な正負の効果(まるで利潤のような)が考えられ、その結果、

冒頭で述べられていたようなスパイラルはなくなります。武が行き過ぎる事がなければ、それらをすべて捨てて学に特化しようという動きもなくなり、商がたとえ行き過ぎてもそれらを全て捨てようとはならないため、行き過ぎた武にもならず、武、学、商がうまくハイブリッドされた社会に落ち着き、流行り廃りで政策が右往左往極端に揺れ動くようなスパイラルは終止符を打たれるでしょう。

資本主義と社会主義という対立は、そういった意味でだんだんと終息に向かっています。

資本主義を取り入れた修正社会主義と、社会主義を取り入れた修正資本主義の国が増えて行く中で、次第に両者の違いが少なくなり、最後には国によってバリエーション(これは必要です)はあるものの、バランスとれた落ち着いた国家だけで世界は構成されるようになるかも知れません。


しかし、そういった事柄を全範囲的に成功させるには、衆の部分が賢くならなければなりません。
武も商も学も、それ自体が悪い訳ではなく、それらを活用する衆の側(ちょうど道具は使う人次第であるように)にその正負の鍵があります。
もちろん、精査の結果、武を完全に放棄する社会や、商を放棄したり、または学のある分野を意図的に凍結する事も合理的かも知れません。
道具が人間を駆り立てる事もあるので(銃器が犯罪を増やすように)、どういった道具を、体制を選択し、除外するか、というのも衆の知恵にかかっています。

そして、衆が賢くなるためには、

①きめ細やかな判断ができ

②鳥瞰図、遠視眼的な観察ができ

③それらを理論的に活用する論理力を持つ

事が必要になります。


②に関しては、少なくとも時系列的には歴史を知らなければならないので、過去を覚えていることが重要になります。

それが成功例であるにせよ、失敗例であるにせよ、それらの経験を活かす事が必要不可欠です。

一人の人間にとって経験が重要なように、衆全体にとっても衆自体の歴史的記憶を保っているか、毎回忘れてしまっているか、大きな違いになります。

歴史的弁証法を行うためには、つまりAテーゼ、Bアンチテーゼの二つが出た結果、C中庸に到達するためには、少なくともAが批判されBに時代が移った時に、Aを黒歴史として、または過去の遺物として完全に忘れてしまうのではなく、Aの良かった部分、悪かった部分をきちんと把握して、Cに辿り着く必要があります。

Aの悪かった所を忘れてしまえば、Bが失敗した時にまたもやAが復活して、後にそれが同じように失敗した時に今度はBが復活して・・・といったスパイラルが永遠に続く事になります。

Aの良かった所を忘れてしまえば、Bが失敗した時でもどうして良いか分からず、Bの方向性だけで突っ走る事になり、あつものに懲りてなますを吹く、という事に終始してしまうでしょう。


国連は一つの歴史から得た平和のための知恵です。
ご指摘の通り、人々には戦争回避という考えが、帝国時代と違い根付きつつあります。

もちろん、第一次世界大戦の反省にも関わらず始まった第二次のそれのように、もう一回ぐらいスパイラルの亡霊が復活するかも知れませんが、それも含めて人々はさらに賢くなり、スパイラルは止められる可能性を持っていますし、現在でもその傾向が見られます。

>私はあえてスパイラルの各ターンを縮小することや、スパイラルを停止させることを考えてみたい。

は未来に対する力強い希望であると私は考えます。

  • 2009年10月09日金
  • URL
  • #c.uCwPQY
  • 編集

コメントの投稿

URL
コメント
パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://reviva.blog1.fc2.com/tb.php/514-d614dfe2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。