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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

性別による役割分担とアニメでの表現


子供は生きている社会での価値観で社会化され、それらの価値観に馴染まないかぎり、子供は社会の真の構成員と認められない。

教育は学校教育に限定されない。子供や ― そして大人も ― 見るアニメ作品も、子供たちが生きる社会の価値間を反映しているのであり、子供の社会化に影響を与える教育だ。そして、1970年代頃まで、日本のアニメ作品には保守的な男女関係が描かれていた。

1973年に世に出た『キューティーハニー』は闘う女性が主人公とした、日本発のアニメ作品だが、社会における役割を男性と比較していないので、本論にとって重要ではない。

1974年に、主に男児を視聴者として想定した、『宇宙戦艦ヤマト』が放映された。宇宙から侵略す強大なガミラス帝国、核爆弾で放射能汚染された地球、そして、地球を救うためにガミラス帝国と戦う宇宙戦艦大和 ― この構図は、太平洋戦争中のアメリカと日本の関係を、日本の側から一方的に見た構図に似ている。男たちが前線で戦い、女に大した役周りはない。女はせいぜい、男の恋人であったり、負傷者の手当てをする看護士くらいだ。この作品で前線に一番近いところにいる女は森ユキで、彼女は看護士だ。

1979年には、『キャンディ♥キャンディ』がテレビ放映され、空前の当たりとなる。この作品での女たちは物語の中心にいるため、かなり生き生きと描かれてはいるものの、主人公たるキャンディも自らの人生の展開と幸福の追及で大きく男に依存している。奇しくも、キャンディもまた看護士だ。

アニメ作品は子供に性別ごとの役割モデルを提供していた。アニメ作品は学校教育よりずっと保守的だった。

1984年の『風の谷のナウシカ』は画期的な作品だった。闘う男たちが何人もいる中で、少女ナウシカは前線で男以上の立ち回りを見せ、彼女の行動が人類を救う。環境問題の解決に加えて、男女同権に向けて前進する社会の気運が、この作品には色濃く反映されている。

これ以降、闘う女性を描くことに躊躇しないのが、日本のアニメ作品の1つの特長になった。

それから20年余りが経過し、今年の『涼宮ハルヒの憂鬱』で、女性はついに神にさえなった。

日本の神話では、タカマガハラの統治権が女神イザナミから女神アマテラスに継承されたことが描かれている。女性たちが強かった古代の日本に、今の日本の社会は近づこうとしているのかもしれない。

edit

時代の空気

時代の空気を無意識のうちに読み取って、それを反映しているのが、漫画やアニメ、などの媒体なのかもしれませんね。
系列立てて読んでいくと、確かに、女性の社会進出とともに、アニメや漫画の中での女性の役割が大きく変わって行っている。


こんな事を言ってはなんですが、敬宮愛子様にまつわる報道の過熱ぶりが、神にさえなった女性とその現象を思わせます。
私の実感としては、愛子様が何をして、愛子様がどうしているのかが、今の親の行動に影響を与えています。
愛子様がディズニーランドに行った後と、前では、明らかに客層が変わっていたし、(何故か祖父母と両親と孫の組み合わせが増えてた)土産物屋の品揃えも、愛子様が好きだというキャラクターのものが多くなっていました。
父の職場では、子供が高熱を出したとき「愛子様と同じ病気になった」と言っていた職員もいたそうで・・・・。

アニメと社会の関わり。
コメントはちょっと本題とずれましたが、興味深い記事でした。
あと、このコメントは削除してくださっても結構です。

  • 2006年07月10日月
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  • 飲み屋。 #-
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