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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

アイデンティティー論 ― 錯覚


アイデンティティは同クラスの他とは共有されないもので、個人にとってのアイデンティティは他の誰とも共有されない、"私"という言葉が指し示す何か、である。

一方、"日本人"は誰かと共有される何かを指し示す言葉だ。

よって、各個人のアイデンティティを指し示す言葉として"日本人"は妥当ではないことになる。妥当ではないことを妥当だと思い込んでいるということは、そこに何らかの錯覚があるということだ。

そもそも、私は同一性というものを懐疑しています。

今日の自分と明日の自分は必ずしも=ではありません。
構成している細胞や、脳の記憶もまた違っているからです。

しかし、時系列的な同一性ではなく、今現在の自分を説明する自我として語られるならば、そういったものは確かにあり得るでしょう。

「日本人」ということ「だけ」がある人のアイデンティティという事は確かに、当然の如くあり得ない。

日本人、というのは集合の名称で、特定個人の位置関係もその他の属性も示さない。

しかし、日本人ということ「も」ある人の属性として当然考えられるでしょう。
アイデンティティとは、その人の属性の列挙なので、その中に日本人、というものが含まれるのも妥当でしょう。

その人は日本人で、横浜に住み、プログラマーで、占い好きで、猫を飼っていて・・・といったその人の属性全てが、その人のアイデンティティを形成していると言えるでしょう。

それら無数の総体が、その個人を個人たらしめているのです。

  • 2009年11月06日金
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