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思想の中核と辺縁 ― 国学について ― II


 人の認識が比較に依存することは自明なので、認識に依存する学問は、当然、比較に依存します。
 人文科学や社会科学では、外部要素の輸入は避けられない。内部要素と外部要素の比較こは、内部要素の理解に必要不可欠だからです。
 例えば、イギリスにおける学術界は、フランスにおけるそれから大量に輸入して成立しています。英語の学術用語に古英語を語源とする単語は乏しく、ほぼ全てがラテン語やフランス語から採りいれられたものです。英語の語彙全体でも、70%近くがフランス語経由で入ってきたイタリック系の単語です。
 自分たちが特別だという思い込みの強さは、日本人の特別なところでしょう。
 「国学」に相当する学術分野は、欧米諸国に存在しない。彼らは日本人ほど自前の要素にこだわらない。
 ジョン・ロックが王権神授説を否定したことは、アメリカの独立宣言だけではなく、法体系の違いを超えてフランス革命にも大きな影響を与えています。アメリカ社会とフランス社会には、その後、ロックやホッブズが考えた合理的な自由だけではなく、ドイツ哲学的な非合理な自由も定着しました。ドイツ哲学の非合理な自由の源流は、古のギリシアのテューモス(気概)に遡ります。
 フランス社会の諸制度はギリシアからイギリスに至る様々な外国の影響を思想面に受けながら実装されていますが、フランス人はそんなことをいちいち気にしない。自分がそれを理解し、それを自分のものにしていれば、それは自分のものなのです。

 

日本や中国などのアジア諸国は民族主義に明文的な思想を持つことが多いようです。国学もそうですし、その原因である中華思想も古代に成立した割には、近代ヨーロッパの人種論に負けないくらいたいした代物です。

むしろ、ヨーロッパ、とくに島のケルトやバスク人の民族主義は明文的思想を必要しない程度に強い。
ウェールズ語はその地域で公用語とされ、学校で公的教育がなされていることは、同じ島国であるはずの日本では考えられないことです。

むしろ、民族主義なんてものは本当はもってないから、日本人は国学とか武士道とか万世一系でやたらと脚色したがるのでしょう。
民族主義そのものよりも、民族主義にあこがれたり、賞賛したり、こき下ろしたりするなまじっかな好奇心のほうが日本ではずっと強いように思えます。

和服は本来、中国服ないし古韓国服が由来であったことなどもはや気にする人はいませんし。

  • 2009年12月27日日
  • URL
  • 庭園のヒドラ #-
  • 編集

>自分たちが特別だという思い込みの強さは、日本人の特別なところでしょう。
 「国学」に相当する学術分野は、欧米諸国に存在しない。彼らは日本人ほど自前の要素にこだわらない。

含め前後も全て、仰る通りです。
痛快な文章です。

ヨーロッパは互いの影響を大きく受けて発展して来ました。
むしろ、各国間に戦争が相次いだ事の方が不思議です。

ほぼ同じ宗教であり、ほぼ同じ文字を使い、クラシックなどは同じ音楽理論をもとに発展し、国境が密接に接し、同じギリシア・ローマといったものを文化や文明の一つの源流とし、中国と同じくらいの面積に密集しています。

日本でさえ、文字は中国語に由来し、多くの熟語も中国語のままです。

古代、飛島時代、日本は度々朝鮮半島の百済を助けるために出兵しますが、こういった事が成り立つには、ある程度、お互い同族意識があること、ある程度、言葉が通じる事が必要だと思われます。

味噌、米、筆、着物、下駄、冠、都造り、仏教、お膳、麺類、醤油、お茶、金魚、花火そういったあらゆる日本的なものが、中国、朝鮮縁のものです。


そういった朝鮮、中国の影響を排除し、本当に日本古来のものを探そうと努力すると、タマネギの中心を見つけようとする努力のように、随分と小さくなってしまうかも知れませんが、ない事はないでしょう。

それは縄文時代や石器時代の日本の文化や文明です。
これが素晴らしいものであれば、それはそれで「日本古来」として世界に誇れるでしょう。

身分制があまり顕著でなかった、自然はほとんど破壊しなかった、戦争もあまりなかった、など良さそうな点が幾つか思いつきますが、何せ、紙の資料もないはるか過去の未発達の頃の事ですから、あまり分かっていません。
もしかしたら、今後、戦乱や格差は、我々が今まで思ってきた以上に大きかったのでは、と思わせる何かが発掘されるかも知れません。


そういったあやふやなものを拠り所にするしかなかったしても、またはその殆どが朝鮮、中国由来のものであった事が分かったとしてもなお、我々は自分たちの文化・文明と呼べるものを提示し誇ることができます。上記のような経緯があったとしても、なお、我々は朝鮮でもなければ中国でもない。

それは、我々がその後に築き上げて来た、アレンジして来た、平安以降の様々な日本文化・文明・思想の集積です。
子供は完全に親や周りから言葉を学びますが、それでいて、その子供は親そのものではない。良い意味でも悪い意味でも、子供は完全な親のコピーにはなり得ません。

当然、中国や朝鮮からその多くを初めた日本であったとしても、その良い部分を引き継げていないかもしれません。
(もちろん、それは中国だとて同じ事で、現在中国は古代・中世中国の良い面を受け継げていないかも知れない)

そこで、重要なのは今これからで、これから、今までの国内外の集積を使って、自分たちが、どう、発展するかでしょう。

そう、日本の品位は、他でもない現在の日本人自身にかかっているのです。

過去から良い知恵を学ぼうとする事は重要ですが、過去だから、古来だからといって、必ずしも正しい、良いものであるとは限りません。夢見がちなのは重要ですが、後ろを向いていては、人は走る事も歩く事もできないのでしょう。

  • 2009年12月29日火
  • URL
  • シュワの墓主 #-
  • 編集

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