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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

語族としての中国人と日本人


近代史における経験、つまり、活版印刷技術を実用化したヨーロッパ世界に文明水準において追い抜かれ、その後にヨーロッパ人の軍事進攻の脅威に悩んだという部分は、確かに日本と中国の近代史で類似性を持っています。

中国の政治はある部分において、過去の日本と共通する要素を持っています。しかし、日本と中国の関係は近代以降においてあまりうまくいっていない。

語族としての歴史を考えると、日本人はヨーロッパ人よりも若く、族であり、中国人はヨーロッパ人より年上です。

言語は、アイヌ語のような抱合語→日本語のような膠着語→ドイツ語、フランス語、英語のような屈折語→中国語やベトナム語のような孤立語という変化を経験し、次第に考えるのには向かなくなり、伝えるのに向いたものになっていきます。

日本人は考えるのが上手で、考えるための基礎としての大がかりな哲学を必要としない。その代わり、伝えるのが苦手です。

ヨーロッパ人は考えるのが下手ですが、伝えるのは上手です。考えるのが苦手だから、あらかじめ考えておきます。だから、哲学が発達します。その中では、ドイツ人はどちらかといえば日本人に近く、イギリス人は中国人に近い。フランス人やイタリア人は文明の十字路にいたため、ちょっとターボがかかっています。

中国人は考えるのがヨーロッパ人よりもさらに下手です。その代わり、伝えることにおいては世界最高水準です。

日本人は問題を認識していながら、それを解決するのに必要な社会的合意を得るのに時間がかかります。一方、中国人は問題を認識することそのものに長い長い時間を必要としています。

中国人は問題を認識していながら、それを解決しようとしない、と日本人には感じられるでしょう。一方、日本人は解決策を自ら提示したのに、それに反する言動を示す人が多すぎる、と中国人には感じられるでしょう。日本人にとって中国人は横暴に、中国人にとって日本人は不実に見えることが多い。

しかし、実際のところ、たいてい、中国人は問題をまだ認識していないし、日本人は解決策にまだ社会的な合意が取れていない。

こういう語族としての互いの特性に気がつくには、中国でも日本でも、もっと人文科学に力を入れなければなりません。

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