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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

チベット案件 ― 中国共産党のしぶとさの理由


まあ「高度な自治」そのものはいいんですが、「高度な自治」はチベット人民による自治であり、ダライ・ラマと貴族による封建的支配は「高度な自治」にはならない。ダライ・ラマがパンチェン・ラマを担ぎ出した人民解放軍に追い出されるまで、チベットには首に縄をかけられた状態で働かされていた農奴 ― ナショナル・ジオグラフィックスなど、欧米メディアによる記録映像があります ― がいました。これも人権弾圧。ダライ・ラマはチベット人の大多数の間では不人気です。だから、デモの規模も人口の割に非常に小さい ― 昔、朝鮮半島で起こったサンミル運動と人口あたりの規模で比べれば、1/40にもならない ― し、先進国の首脳たちにはまるで相手にされていない。「対話を促す」という発言が出てくるだけです。

中国共産党が様々な人権弾圧を行っているのもまた事実ですが、中国共産党が別の人権弾圧から多くの人々を救ってきたのもまた事実。中国についての諸問題を考える際に、多くの論客はこの点を見過ごしてしまいます。

例えば、文化大革命で死んだ人は3000万人いるといわれていますが、文革で救われた人も少なくない。文革以前、中華民国の時代にすら、中国には纏足の伝統があり、女児の足を布でくるみ、石で打って骨を砕き、足の成長を抑制したものです。目的は、将来に成長した女児たちを地元の有力者の妾にするためだったりとか。纏足のショックや敗血症による死も少なくなかったはず。文革で死んだ人の数から、文革で救われた人の数を差し引くと、もしかしたらマイナスになるかもしれません。

中国は共産党のせいでひどい国になったのではなく、もともとひどい国でした。中国共産党が巨大な人口に支持されて久しいのは、中国の歴史上での以前の政体の支配と比べ、中国共産党の支配がずっとマシだからです。

中国共産党による人権弾圧に対する批判は、中国共産党によって救われ、守られている人々の現状を、中国共産党に代わって保護できる提案を含まなければ、中国国内では支持されない。中国共産党に対する批判がチベットの多くの人民に支持されないのは、それが例えば元農奴の現在の身分と財産の保護を含んでいないからです。

こんにちは

いつも、時折、拝見させて頂いております。
今回の記事には同感です。
これからもちょくちょく窺います。

  • 2008年10月07日火
  • URL
  • 間借花 #-
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コメントありがとうございます。

中国憎しの感情だけでは、チベットが独立することはできません。独立派にはもっと戦略的に動いてほしいと思っています。

  • 2008年10月08日水
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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根拠となるソースと論理なしで

その見解は直感的に誤っているように見えました。

  • 2009年08月01日土
  • URL
  • 宇宙の眼から #-
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大抵は根拠を示せないほうが間違っているのです。

  • 2009年08月02日日
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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Lexarさんのおっしゃるとおりです。

私は自分の感性の正当性を主張するつもりはありません。

根拠となるソースと論理なしに、さらにわがままに、自分の直感を、責任もなくポツリと述べました。

要するに「違和感がある」ということだけです。

めちゃくちゃですみません。

  • 2009年08月07日金
  • URL
  • 宇宙の眼から感知 #-
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直感をあてにするよりも、まずはもっと勉強されてはいかがでしょうか?

私はイギリスがチベットを支配していたころからの100件ほどの資料を参照し、ヨーロッパ人たちが意外にダライ・ラマに対しても批判的な見解を数多く出していることに気がつきました。日本でも、チベット研究歴が長い大西教授のような学者たちは、中国政府によるチベット政策にチベットを豊かにする効果があったことを認めているようです。初等教育を支援するNGOも中国政府を批判していない。

ヘレン・フォスター・スノウの報告では、現在のダライ・ラマがその地位についたころにすでに、僧籍を脱して赤軍(後の人民解放軍)に入隊する若者が数多くいたことが伝えられています。サルトルの伴侶であったボーボワールもダライ・ラマに対してかなり批判的な見解を述べています。

中国には全人代と並んで重要な政協会議という幹部会合があり、毛沢東はその主席を務めましたが、ダライ・ラマは副主席を務めていたことがあります。ダライ・ラマはチベット自治区準備委員会の初代の長を務めたこともあり、この時にダライ・ラマが農奴解放政策を拒み続けたため、チベットの元農奴たちの間でダライ・ラマは不人気です。CIAのチベット独立工作も、大多数のチベット人がダライ・ラマを憎んでいたことで頓挫した、とイタリアのメガチップス社のサビーナ・モランディーが報道しています。

現在、チベット自治区の主席と幹部の70%がチベット人です。チベットには既に高度な自治が確立しており、その自治がダライ・ラマを拒んでいるのです。

  • 2009年08月08日土
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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ヘレン・フォスター・スノウと、ボーボワールについて多少勉強しました。

ボーヴォワールについては、無知なのと、まだあまり調べてはいないのですが、夫のサルトルは文化大革命に大変影響されていますね。

スノーもサルトルも中国共産党には比較的好意的な見解をとる立場にありますので、ちょっと第三者の判断とは言いがたいです。

ダライ・ラマは全国人民代表大会常務委員会副委員長で、パンチェン・ラマが全国政治協商会議副主席ではないでしょうか。ご確認ください。

CIAがチベット人ゲリラを養成・支援したというのは聞きますし、実際にそうだったろうと思います。具体的にどのような結果に終わったか追って調べたいと思います。

他の挙げられている事例については、なにぶん不勉強で存じませんが、時間があればぜひ検証させていただきます。

Lexarさんのご見解は冷静で堅調ですが、私自身の受け止め方として納得には至らないのです。この感覚を論証的に説明できたらと思いますが、できるまで時間をかけさせていただきます。

私の現在の立場は、ダライ・ラマ法王及びチベット亡命政府の見解も、中華人民共和国政府の見解も、(不勉強であるがために)いずれも肯定・否定できない完全に中立な立場であることも申し述べておきます。

  • 2009年08月10日月
  • URL
  • 続・宇宙の眼 #-
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人が偏見から自由になるのには時間がかかります。

ただ、日本人が比較的一方的にダライを支持する傾向があるのに対し、アメリカやヨーロッパはそうではない。

1999年のワシントンポストの記事にも、「1959年にダライ・ラマと一緒に逃げ出し、彼の助言者の大半を占めている貴族たちの帰国を望むチベット人はほとんどいない。中国による農地改革の間に手に入れた土地を、多くの農夫は手放そうという気持ちがない。チベットの農奴たちも、以前の支配者たちが権力に復帰するのを望まない」(拙訳)と述べられています。

ブログ記事本文で述べたように、チベットの元農奴たちの大きな懸念は、ダライ・ラマが元農奴たちの現行身分と現行財産の保証を約束していないことです。

  • 2009年08月10日月
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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サルトルは中国ではなくソ連の擁護者でした。

しかし、彼の見解や哲学はそう単純なものではなく、ドイツやオーストリアの精神分析学やアメリカ社会学もまた、彼の思想には織り込まれています。

  • 2009年08月10日月
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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難しい案件とクリアな解答 それは諸惑星のような

思うに、宇宙の眼さんが感じられた違和感とは、中国共産党に対する批判を封じるかのような結論部分にあるのではないでしょうか。

恐らく、宇宙の眼さんも、チベットが農奴制を取って来た事や、儀式や刑罰においてチベットが残虐な事を行って来たことについては、それがLexarさんのご主張通りであれば否定される訳ではないでしょう。

また、中国人民軍や文化大革命が、今までの悪習や宗教、身分制度からなる人権弾圧から人を解放した事について異議を唱えらる訳ではないと推測します。


イラク戦争がクルド人を救ったということがたとえ事実だとしても、それによって犠牲になったイラク一般民衆のことを考えない訳には行きません。

思うに、あれはアメリカ単独で決定すべき事ではなく、正確な情報に基づき、国連で慎重にイラク政権と交渉を重ねながら徐々に行うべき事柄であったのではないでしょうか。

それと同様に、中国共産党によるチベット「解放」も、大義名分がどうであれ、現在の中国人でその正当性をきちんと考えている人に会った事はありません。むしろ、中国の領土維持という側面だけで考えている人が非常に多い。

もちろん、中国人の中でも真にチベットの解放を考えて、人民軍による解放を支持または参加した人がいるだろうと思います。
しかし、それならばかつての帝国日本軍にもアジアの解放を、ポルポト政権においてもカンボジアの解放を目指していた人もいましたので、同様に根拠がある事になってしまいます。

重要なのは、その解放がどこまで大儀に基づいて行われ、またその大儀志向が維持されているか、という事です。

私見では、最初の頃こそそういったものがあったにせよ、その後すぐに、もはや結果論としてチベットは解放されたに過ぎないように思えます。
つまり、中国の領土拡張の副産物として、濃度も解放されたのです。

その結果、果たしてチベット人の全体の幸福度が上がったのか下がったのかは、判断の難しいところです。

もちろん、所有できる土地は少ないよりも多いほうがよい。しかし、かつてチベットにあった幸福感、安定している制度、習慣、人口規模、土地利用が失われ、カオス状態となり、ただ資本主義の渦に巻き込まれただけであるのならば、疑問視せざるを得ません。

チベット内部のGDPは上がったかも知れませんが、GDPだけでは、人々の幸福量は量れないからです。


>中国共産党による人権弾圧に対する批判は、中国共産党によって救われ、守られている人々の現状を、中国共産党に代わって保護できる提案を含まなければ、中国国内では支持されない。中国共産党に対する批判がチベットの多くの人民に支持されないのは、それが例えば元農奴の現在の身分と財産の保護を含んでいないからです。

中国共産党に対する人権弾圧に対する批判が、中国国内で支持されない、というのは当然の事でして、中国の人口の大半はチベット人ではなく漢民族だからです。

一方、チベット地域内で支持されないかどうかは、非常に難しい問題です。

チベット領内でアンケートを取ったのでもないかぎり、中国共産党に対する批判がチベット人民に支持されないかどうかは断言できません。
ここの論拠には、チベット人に対する真のアンケート、聞き込みなどの部分が欠落しております。

これと同様の問題としては、北朝鮮において金総書記への支持率は常に100%です。しかし、これは本当に北朝鮮の人々の真意を反映しているのでしょうか。

①国家の強制による言論弾圧

②外部情報の欠落と教育などによる洗脳により、自分たちがまあまあ幸福ではないかと思わされている。

③日々の生活に忙しく、強大な政府に反抗するような余力が残されていない。


これらの理由により、チベット人が共産党反対デモを大々的に行ったり、外部表明を行わないこと=共産党を支持している、とはできない複雑な状況にあります。

また、高度な自治が行われているとしても、それは果たして名簿上、形式上、チベット人が自治政府の指導者に名を連ねているだけであるかも知れません。

また、もし本当にチベット自治政府におけるチベット人の権限がある程度確保されていたとしても、彼らがチベット人民の声を本当に代表しているかは疑問が残ります。

チベット自治政府の高官にとって、自分たちの地位を保障してくれる存在は、中国共産党であって、亡命政府の方ではありません。

当然、彼らは亡命政府を否定するでしょう。
また、多少の中国共産党による自領内における横暴には目をつぶる傾向にあるでしょう。

つまりは、傀儡政権となってしまっている可能性が高い。


もちろん、もし彼らが中国共産党に実は反対していたからといって、それが即、ダライ・ラマ政権への復帰を希望している、という事にはなりません。

ダライ・ラマ自身は恐らく農奴制や残虐な刑罰や儀式を快くは思っていないでしょうから、もしダライ・ラマが復帰しても、それが即ち農奴制の復活、という訳ではないように思えますが、それには確証はありません。


我々がチベット人の人権、と言ったときに守るべき目標として掲げるのは、チベット人民のそれであり、亡命政府や自治政府のそれではなく、また共産党のそれでもないと考えます。

我々はダライラマ体制を復活させたいのではなく、また直ぐにでもチベットに独立して欲しいのでもなく、ただ言論封鎖をしている中国政府に、ありのままの状態を取材させて欲しい、またはチベット人の情報発信を妨害しないで欲しいだけなのです。

これによって、真のチベット人の声が聞こえて来ます。

伝え聞く、ダライ・ラマに会おうと国境を越える人々を、狩猟感覚で狙撃する人民軍兵や、暴動に対する暴力的措置、大量の移民によるチベットの民族構成の破壊、ウィグルなどで何十回も行われた核実験・・・

こういった事の真偽を確認し、それらがもし本当の事であるならば、やはりこれも人権問題ですので、世界規模で中国に何らかの対策を行う、こういった態度が望ましいのではないでしょうか。

中国共産党の役割がもしあったとしても、それは農奴制からチベット人民を解放した事で終わったのであり、チベット領内を自国に強制的に組み入れ、漢族の好きなように利用する事ではない、と私は考えます。


ダライ・ラマ体制への批判が、即、中国共産党がチベットを実効支配していることの正統性にはなりません。

その辺りのところが、宇宙の眼さんが感じられた、何となくの「違和感」として現れたのではないでしょうか。

  • 2009年08月10日月
  • URL
  • シュワの墓所 #c.uCwPQY
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ウイグルの話は別件ですね。私はチベットの案件に集中したい。

CIAはかつてチベット独立工作に際し、旧チベットの支配者層から人材を選び、民衆へ独立を呼び掛けさせましたが、そのうちの90%は生還しませんでした。Hugh Deaneらはこれを独立工作がチベット人民に支持されなかったからであると考えました。

「ダライ・ラマ自身は恐らく農奴制や残虐な刑罰や儀式を快くは思っていないでしょうから」は単なる憶測ですね。現実には、チベット自治区準備委員会の長であったときに、ダライ・ラマは農奴解放に反対し続けました。今でも、ダライ・ラマは、元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束していないのです。

「我々がチベット人の人権、と言ったときに守るべき目標として掲げるのは、チベット人民のそれであり、亡命政府や自治政府のそれではなく、また共産党のそれでもないと考えます」という部分には同意します。

私もチベットにおける中国共産党政府による言論弾圧を憂慮しています。

ただ、チベット亡命政府を支持するような動きは、むしろ中国共産党にとっては好都合です。チベット人の大半は元農奴階級出身であり、ダライ・ラマを憎んでいますから、ダライ・ラマが目立つほど、チベットにおける中国共産党の支配は安定します。(ジャーナリストたちは1920年代から1990年代までチベットに赴いて数々の報告を残しています。そのころにダライを憎んでいたチベット人たちが、今はダライを支持するようになっていると考えるのには無理があると思います。)

仮にチベット人民が中国共産党に何らかの反感を抱いているとしても、ダライへの憎しみから、中国共産党を必要悪として結局は支持せざるをえない。

旧支配階級である僧侶や海外に散らばっている元貴族の留学生たちの声ばかり聞いていては、チベットの真実は見えてこない。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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論題の唯一の懸念点

これは迅速な返信ありがとう御座います。


>ウイグルの話は別件ですね。私はチベットの案件に集中したい。

いいえ、関係はあります。確かに別件ですが、重要な関連があります。

しかし言葉足らずであった事は確かです。

なぜ、ウィグルの問題が関係あるかと言えば、それは直接的なものではなく、類似しているものだからです。

ウィグルに関連する様々な事象は、次の事を暗示しています。

①中国共産党は大義名分がなくても侵略は行う方針である。

②中国共産党に支配された少数民族はどういった立場に立たされるのか、という事を考えたとき、土地や文化を奪われる可能性を強く示唆している。

③そしてどの件においても、中国人は自国の民族迫害についてあまり知らないか、知っていたとしてもそれに悪い要素があるとは考えない。


これらの事から推測されるチベットに対する中国の意思が読み取れます。それは、大義名分や理想・人道などにこだわる方針は特になく、これは中国支配に対する暗雲を予測させます。

チベットが中国共産党のもとで改革・解放されても、その末路はあまり輝かしいものではない、という予測は優にたちます。

中国の歴史を見れば、どんな時代であっても民衆の犠牲は報告されています。

もっとも、それは中国に限った事ではなく、ヨーロッパ、日本、インド、朝鮮でも多く聞かれる事です。

重い税や、過酷な刑罰、戦争期の犠牲など・・・

また、これはどの程度、民衆の支持を受けていたのかによりますが、アンデスなどでも人の生け贄などがささげられていました。この解釈しだいでは(つまり、民衆の自発的なものであったのかどうかです)これも残虐な民衆への仕打ちとなるでしょう。

こういった事があまり聞かれないのは、私の知る限りエジプト、モロッコ、イスラエル、アラブ、ギリシア、ローマなどで、彼らは他国のものを奴隷とする事には躊躇しませんでしたが、自国の人間を残虐に痛めつけることはしなかったようです。

また、インディアン、アイヌ、沖縄の人々、イヌイット、フィリピン、台湾、アフリカなどの小集団の民族の間でも特にそういった事例は聞かれません。


しかし過去の歴史はともあれ、過去現在を通して、人権がもっとも軽んじられている国の一つが中国です。

こういった国にチベットをさせるがままにするのは、非常に危険だと考えられます。

  • 2009年08月11日火
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  • シュワの墓所 #-
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>「ダライ・ラマ自身は恐らく農奴制や残虐な刑罰や儀式を快くは思っていないでしょうから」は単なる憶測ですね。現実には、チベット自治区準備委員会の長であったときに、ダライ・ラマは農奴解放に反対し続けました。今でも、ダライ・ラマは、元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束していないのです。

これは憶測ではありません。上記の事が憶測だという事はLexarさんの憶測になります。

もちろん、広報されている見解と違いダライ・ラマ14世が本当には心中でどのように考えているか、は誰にも分かりません。そういった点ではどのような予想も憶測の域を出ません。

しかし、彼やチベット亡命政府の多くが製作に関わり、さらに亡命政府の人々が多く出演したチベットを題材にした映画「クンドゥン」において、ダライ・ラマが重い刑罰やシビアな身分制に反対していた事が描かれています。

もちろん、それはポーズである可能性も高い。しかし、少なくとも公式見解としては残虐な行為一般には反対の立場をとっているのでしょう。


しかし、農奴解放については映画では述べられていませんでした。そもそも農奴の存在自体が描かれていない。それは普通の民衆として描かれていました。

農奴制がもしあったとして、農奴制そのものを完全に否定するかどうかははっきりとしません。

それが穏やかなものであった場合、国の指導者として、あまりに秩序を壊すような改革には反対するものです。また、彼が宮殿からあまり外に出ず、側近たちの意見を幼い頃から聞かされていたため、それを鵜呑みにしてしまった可能性もあります。

そこで、ダライ・ラマ14制が、チベットの旧体制の根本を完全に変革しようとしているかは定かなりません。

しかし、映画の感じからして、過酷な刑罰と同じくらい過酷であるような農奴制には反対するでしょう。

まさか、重い刑罰や殺害、中国共産党のチベット人民虐待や虐殺は非難しても、農奴の手足を切ったり目をくりぬいたりといった事には賛成するようには思えません。少なくとも公式には。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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>「我々がチベット人の人権、と言ったときに守るべき目標として掲げるのは、チベット人民のそれであり、亡命政府や自治政府のそれではなく、また共産党のそれでもないと考えます」という部分には同意します。

>私もチベットにおける中国共産党政府による言論弾圧を憂慮しています。

ええ、言論弾圧があるからこそ、中国政府が実はよい支配、高度な自治の認可をしていたかどうかに関わらず、その信憑性が怪しまれます。

もし、世界に情報発信をしても問題のないような自治であるのならば、中国が故意に情報を隠す必要はないからです。

大抵、歴史において情報を遮断している国家はドメスティックに病んでいる場合が多いように思います。

現在であれば北朝鮮が、かつてであれば日本帝国軍が、またはソ連が、ナチスドイツが、国内外に情報を隠します。そういった隠された情報は大抵、他国・あるいは自国民に対する人には言えないような人権弾圧であったり、政府や軍部に不利な情報であったりしました。

また、アメリカやイギリスでも真に重要な情報は隠される傾向が強い。

特に、政府による要人暗殺、戦争などが関連するとその傾向は強まります。つまり、犯人が分からない要人暗殺がしばしば行われるのです。情報公開法の力にもよりますが、恐らくその法をもっても覆い隠される事件や計画などは色々とあるのでしょう。

我々が、各国政府や軍隊を信じられない理由は、何かをやったからだけでなく、何をやったのかを公表しようとしないからです。

実際は、中国政府はそこまで残虐な事はしていないかも知れません、少なくとも中国を批判する人々が想像するような事は。
しかし、実際はもっと残虐なことが行われているかも知れないのです。

それはまだ判断できません。
そして、それを判断するためにも情報を公開して欲しいのです。少なくとも、情報発信を阻害しない事を要求したい。


因みに、私はLexarさんの以下の結論には賛成しています。

>外国の政府も非政府機関もその他あらゆる任意団体も、中国政府と亡命チベット政府のいずれに対しても、政治的に肩入れすべきではない、と私は考えます。

>理想をいえば、チベットの将来のために、中国からの干渉と亡命チベット政府からの干渉の両方を、チベットから排除しなければなりません。

ええその通りです。
ダライ・ラマ政権が過去、残虐な行為をして来たからといって、それが中国支配の論拠となる訳ではありません。
中国が去った途端、新たに土地を得られた農民が、農奴へと逆戻りし、残虐な刑罰が復活する、というような事は起こらないでしょう。

これは仮の話ですが、もしチベット亡命政府が今でも農奴制の復活と刑罰の復活を強く望んでいたとしても、数の問題から、チベット亡命政府にそこまでの力はないでしょう。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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>ただ、チベット亡命政府を支持するような動きは、むしろ中国共産党にとっては好都合です。チベット人の大半は元農奴階級出身であり、ダライ・ラマを憎んでいますから、ダライ・ラマが目立つほど、チベットにおける中国共産党の支配は安定します。(ジャーナリストたちは1920年代から1990年代までチベットに赴いて数々の報告を残しています。そのころにダライを憎んでいたチベット人たちが、今はダライを支持するようになっていると考えるのには無理があると思います。)


もしダライ・ラマが人民弾圧の積極的な推進者であって、現在もそうであるならば、確かに亡命政府支持は、チベット人民の反感を買うでしょうね。

ただし、お示しになった数々のソースの記述は割り引いて考える必要があります。

もしダライ・ラマ体制が、本当に人民にとって害でしかないのであれば、人民の数と政府側の数の問題から、そのような政府が何百年も存続できた理由が説明できません。

現在のように技術が進歩して、少数の富める者が有効な兵器を所有し、多くの貧者を支配できる時代とは違い、有効な武器や兵器がない時代では、ある人々と別の人々の武力差にはさほどひらきがないでしょう。

となれば、人口が多いほうが常に有利になります。

現在では例えばイスラエルが戦闘機やミサイルによって近隣のアラブ人を抑圧する事が可能ですが、かつては人口規模が大きく関係していて、かつてイスラエルが栄えた時代は、やはりその人口も近隣のパレスチナ人よりも多かったのでしょう。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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お示しになったソースは手元にないため、内容を知りませんが、西洋の人々から見て、アジアの普通の風習でさえ文化の違いから、殊更、残虐に見えたりするものです。

例えば、日本人が西欧人捕虜に、滋養をつけさせようと根菜を探して来て与えたら、戦後の裁判において木の根を食べさせられた、とその日本人は告発された、という話を聞いた事があります。

  • 2009年08月11日火
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  • シュワの墓所 #-
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一昔前のヨーロッパの、インディアンやその他のアジア人の風習について書かれたものは、しばしば偏見と恐怖によって描かれています。しかし、実際は普通の風習であったりします。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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もちろん、手足を切られたり、目を抉られたり、といった事はそのまま残虐な事ですが、それがどの程度行われていたのか、また農奴制は本当に過酷なものであったのかは、あるいはヨーロッパ人の誤解や伝聞を鵜呑みにした結果であるかも知れませんので、断定できません。

人は、平和な風景よりも残虐な事件の方を人に伝えたがるものですし、そういった情報の方がおひれが付いて拡大しやすいものです。

人は、少なくとも噂話をする時には話を盛り上げるためにセンセーショナルなものの方をより好みます。


チベット人のどれくらがダライ・ラマを憎んでいるのかは、やはり実際にアンケートでもとってみる他は把握できません。

お話が本当であるならば、もちろん私も亡命政府が中国に戻ることには反対ですし、応援する気持ちも持ちませんが、それはまだ断定できない事なのです。

また、かつてはダライ・ラマを快く思っていなかった人々がいたとしても、現在の中国支配における幸福度を考えると、比較の問題でダライ・ラマ体制の方がマシであると考えるようになり、現在ではダライ・ラマを支持してるかも知れません。

人は面白いもので、かつて自分たちを抑圧したような王朝の子孫であっても、外国や他民族からの脅威にさらされている時には、過去のことを忘れ、熱烈な支持に回ったりするものです。

(ヨーロッパの歴史において多々見られます)

もちろん、これは正しい選択ではないと思いますが。



さて、色々と書き連ねて参りましたが、私の言いたいこと、懸念している事は一つです。

ダライ・ラマ14世がもし治世を行った場合に、現在と比べ、どれくらい悪いものとなるのか、はまだ断定できない事。

ダライ・ラマに対するチベット人民の支持率もまた把握できな事。

中国の行っている事もまた、どれくらい伝え聞く事と同じであるか、どれくらい残虐であるか、はまだ分からないという事。

それらを我々が判断するためにも、チベット地域に対する取材、チベットからの情報発信、チベットへの自由な行き来が必要です。

そして、それらを中国政府が禁じている事だけは、確かに分かっています。


チベット人民の事は、最終的にはダライでも国連でも共産党でもなく、チベット人自身が決めるべき事であると考えます。

ダライ・ラマを手放しに応援する事は、あるいは人道から見ても、作戦から見ても間違った事であるかも知れません。私もその可能性は捨てません。


しかし、そういった事柄が、中国共産党が今行っているような事を覆い隠す事にも、正当性を持たせる事にもなりません。

また、日本におけるチベット人権弾圧批判をしている人の多くは、第一義にチベット人民のことを考えているのであって、亡命政府の事ではないと思います。

ダライ・ラマがチベット独立を唱える最大勢力だから、人々はダライ・ラマと手を取り合ってチベット人を解放しようとしているに過ぎないでしょう。


かつて、ダライ・ラマ体制が行って来たと言われる残虐な行為の証言を理由に、中国共産党のチベット支配を支持したり、あるいはそれへの批判を押さえ込むようにも捉えられるような感じがもしご主張にあるのならば、初めの部分は良くても全体としての何某かの「違和感」は常に付きまとう事になるだろうと思われます。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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追記

後半部分、分割されて投稿されているのは、禁止キーワードに引っかかったためです。

どうやら、ふうぞくという言葉が引っかかったようで、風習に直しました。

しかし、どの単語が禁止キーワードであるのかが示されなかったため、特定に随分時間がかかりました。インディアンかなとも思いましたが、そこを変更しても禁止キーワードです、という表示は相変わらず出ていました。

という訳で、一体全体どこが引っかかったのかが分からないため、上のように分割して投稿する、という事になってしまいましたが、他に意味はありません。

これは、恐らくホームページが成人向けサイトとして運用されないようにしたものだと思うのですが、やはり不便ですね。

一つには、何が禁止ワードかが示されていない点ですが、これは明示によりすぐに解決する事ができるでしょうね。

もう一つは、まじめなサイトであっても、そういった事柄について論議する事が不可能になってしまう点です。これはなかなか難問です。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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「亡命政府の人々が多く出演したチベットを題材にした映画」がダライ・ラマを美化するのは当然です。その映画は信用に値しない。それは、私が中国共産党の主張を信用しないのと同じです。

アンナ・L・ストロングは、チベット人口が約125万人だったころ、農奴の数は70万人程度だと推定しています。スパルタのように人口の1/20が残りの19/20を隷属させた事例はあります。55万人が残り70万人を農奴として支配することは不可能ではありません。

ダライ体制下において僧侶たちが行った残虐行為、例えば、農奴の眼球をくりぬいたり手足を切断したりするようなことは、洋の東西の違いで正当化できるものではありません。

ジャーナリストによる自由な取材はできるだけ早く再び認められるようになるべきだと思います。

世論調査や人民投票についていえば、チベット亡命政府のほうがまず乗り気にならなければ、中国政府とチベット自治政府がそれに応じることもないでしょう。チベット人民の間での不人気を自覚していると思われる亡命政府は、なかなかそこまで踏み切れないのかもしれません。

元記事は、単に、中国政府によるチベット支配がどうして安定しているのかを説明するものであり、チベット亡命政府と中国政府のいずれをも支持するものではありません。

(当サイトでは、個別に禁止ワードを設定しているのではなく、fc2.comが管理する上位100ワードを受け入れているだけです。)

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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「もちろん、手足を切られたり、目を抉られたり、といった事はそのまま残虐な事ですが、それがどの程度行われていたのか、また農奴制は本当に過酷なものであったのかは、あるいはヨーロッパ人の誤解や伝聞を鵜呑みにした結果であるかも知れませんので、断定できません」にも反論しておきましょう。

誤解や伝聞の結果ではなく、記録映像が残っています。同じように、中国がさまざまな人権団体に責められているのもまた、記録映像があるからです。

では。

  • 2009年08月11日火
  • URL
  • Lexar #tV7uNBRQ
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>「亡命政府の人々が多く出演したチベットを題材にした映画」がダライ・ラマを美化するのは当然です。その映画は信用に値しない。それは、私が中国共産党の主張を信用しないのと同じです。

そうであるならば、ダライ・ラマが農奴解放の公式見解を行ったとしても、確信できない点では同じです。

Lexarさんの問題提起の一つは、ダライ・ラマの公式見解です。そこには残虐な行いや農奴制へのダライ・ラマ14世の見解がはっきりとしない事が重要なダライ・ラマ政権への批判の理由として述べられていました。

公式見解とは、ダライ・ラマ14世が表向きにはどのような思想を持っているかを問うものであって、心中では実際のところどのような思想を持っているかを問うものではありません。

そして、あの映画はダライ・ラマ14世や亡命政府が深く関わっているため、上記の公式見解と同じ条件を備えています。映画が公式見解と同様、表向きはどのような思想をダライ・ラマ14世が持っているのかを広報するのと同様、映画は公式見解と同様、本心については明らかにしていません。

それは、よほどダライ・ラマ14世と親しい人間か、盗聴器でも仕掛けた人間しか分かりませんし、あるいは彼の言論ではなく、今後の行動を見るしかありません。


しかし、それはともあれ、ダライ・ラマ14世が残虐な刑罰や習慣に公式に反対していない、は間違いです。

  • 2009年08月11日火
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>アンナ・L・ストロングは、チベット人口が約125万人だったころ、農奴の数は70万人程度だと推定しています。スパルタのように人口の1/20が残りの19/20を隷属させた事例はあります。55万人が残り70万人を農奴として支配することは不可能ではありません。

公式見解のこともそうですが、私の理論はある程度Lexarさんの私の知る限りの理論を踏襲して居ります。

この方が、むりに自分の理論に他の人を引き込むよりも自然な議論ができます。

議論の方法論の選択においては論争しなくても良いからです。

前の公式見解の点でも、私が既にお書きしましたように、それを信頼できるかどうかではなく、公式見解がどのようになされているか、を問うLexarさんの問いに答える、という形を取っています。

つまり、もし公式見解を重要視するのであれば、公式見解としては、このようなものがあります、というアンサーになります。


今回の、チベット体制維持の問題については、理論的踏襲があります。

Lexarさんの書かれた理論の内の一つに、中国共産党がしぶといには、それなりの理由がある、つまりそこの人民が選べる他の体制よりもより好ましく、ある程度の幸福を人々に提供しているからだ、というものがあります。

中国共産党が体制を維持できるのは、強権だからだけではなく、あの広大な大陸にまずまずの秩序をもたらし、前体制よりも暮らしやすいからであろう、という理論は、そのままチベットのダライ・ラマ体制が数百年間も存続したのは、それなりの幸福を国民に提供したからであり、それ以前のチベット体制よりも人々にとって好ましかったからである、という説明を可能にします。

そして、現在の中国共産党の存続を人民の支持のためである、と断定するよりもより、チベット体制の存続した過去は、人民の支持のためである、という説明の論拠は強いと考えられます。

なぜならば、戦車や銃、様々な兵器を所有する中国共産党に比べ、武力に置いても技術的にはるかに未熟だった(従って個人間の戦力にあまり差のない)時代において政権の転覆が起きなかった事実は、ある程度の人民の支持をその体制に必要とします。

現在から見ればセンセーショナルに語られるスパルタの体制も、どこまでが現状を正しく把握しているかはなはだ疑問です。あの時代、歴史はたまたま残った数少ない文献を頼りに推測するしかありません。そして、人はよりセンセーショナルな部分を殊更、他の人々に伝えようとします。

実際のところ、スパルタは圧制などではなく、強い民衆の支持、あるいは集団心理によって、国民の多くがその体制を支えていたのだろうと思います。

とてもではありませんが、1人の人間が、20人の人間を、20人の人にとって害悪でしかないような事しかしないで、支配する事はできません。これは、論理的に考えれば直ぐにたどり着く結論だと言えるでしょう。

チベット・ダライ体制が、ある程度の民衆の支持を受けていただろうと推測できるもう一つの理由が、その体制の存続期間の長さにあります。

チベットは現在の中華人民共和国が清であった頃、そして明であった頃、更にその前の元であった頃から存続しています。

そこから得られる当然の結論は、チベット体制はある程度の民衆の支持を得ていた、という事です。


もちろん、この民衆の支持というものの中には、陰鬱な理由も含まれている可能性があります。

それは、宗教という名の怪物です。

仏教はもともとこの世の価値を認めない、というだけの教えでした。

しかし、ヒンドゥー教の影響を強く受けたため、輪廻転生とこの世の生まれた環境は過去の悪行のせいである、という大衆をマインドコントロールするには都合の良い、恐ろしい教えが含まれるようになってしまいました。

ヒンドゥー教はもともとは、ペルシア系の人々が、ドラヴィダ系の人々を支配するために作られたといわれる、バラモン教による階級観をもとにしています。

前世や過去世の事は、論証も反証も不可能であるため、なかなか始末に悪い。

そして、インドにおいて既に初期の頃にヒンドゥー教に毒された仏教は、その教えがどこに伝播しても、多かれ少なかれ、輪廻転生の教えを含んでいます。チベットもそういった影響を強く受けた国の一つであると考えられるかも知れません。

民衆の支持とは、こうした宗教に洗脳されたが故の、現体制で自分の境遇に甘んじる事によって来世でのより良い生まれ変わりを熱望する人々によってなされたものであるのかも知れません。

現在でも、お家元のインドでは、階級制が色濃く残っています。


>ダライ体制下において僧侶たちが行った残虐行為、例えば、農奴の眼球をくりぬいたり手足を切断したりするようなことは、洋の東西の違いで正当化できるものではありません。

ええ、私は目をくりぬいたりする事に対し、洋の東西によっては正当化できる、とは一言も書いていません。

そういったセンセーショナルな事件は別として、その他の多くの西洋人からみたら人権弾圧にあたるように思える数々の風習が、実はそこの民衆の目からは人権弾圧には見えない、思えないものであった可能性を示唆しています。

多くの場合、残虐でもなく、人権弾圧でもない事が、人権弾圧だと思われ、更に数少ない事例であるにも関わらずセンセーショナルな事例ゆえにヨーロッパ人の脳裏に強く刻まれたいくつかの恐ろしい事件が存在すれば、当然の帰結としてヨーロッパ人のチベットへの感想は、民衆をひどく抑圧しているような体制である、という事になり、当然、民衆の支持も得られていないだろう、という事になるでしょう。

しかし、問題なのは、そういったセンセーショナルな事例が特別な事件として有名となっただけなのか、日常的に誰にでも訪れるようなものであったのか、

また、それ以外の農奴の生活は、果たして本当にはどのようなものであり、それは本当にチベット内において酷いものであったのか、

という事が重要になります。

もちろん、現在の我々の目から見れば過去の多くの生活は、技術の問題などもあり、あまり満ち足りたものには思えません。しかし、それはその頃の可能生産量に応じた、当時としては順当なものであったかも知れません。

重要なのは、一部のセンセーショナルな事件ではなく、日常繰り返されていた大多数の人々の一般的な生活が、国内の可能生活水準と照らし合わせて、どうであったか、という事です。

例えば中国は食人文化も有名ですが、一般の人々が人を食べていた、という事ではありません。
重要なのは、その頻度です。

  • 2009年08月11日火
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>世論調査や人民投票についていえば、チベット亡命政府のほうがまず乗り気にならなければ、中国政府とチベット自治政府がそれに応じることもないでしょう。チベット人民の間での不人気を自覚していると思われる亡命政府は、なかなかそこまで踏み切れないのかもしれません。

亡命政府が乗り気であっても、自治政府や共産党がそれに応じることはないでしょう。

共産党政府が、チベット人の生の声を世界に発信させることを拒むのは、それが亡命政府に支持されていないからではありません。知られては困る事が幾らかあるからだろうと思われます。

チベットを救うために我々ができる僅かな事は、中国にそのような人民弾圧は世界的に受け入れられない、という事を世界が表明する事と、何らかの実効圧力をかける事です。

中国の人も成功すればするほど、世界からの悪い噂は迷惑でしょうし、チベットの経済価値よりも風評の経済価値を気にするようになります。

それはチベットの経済価値が少なければ少ないほど有効になりますが、残念ながらチベットには地下資源があるかも知れない、と言われています。

我々は、政府を通して世界的に中国に対して、チベットを抑圧する間は、経済的にもあまり協力はできない、という事を示し、そしてそれを「実行」するのであれば、しないよりは中国への圧力として効果を生むでしょう。

それは、我々全員が本気にさえなれば実際には直ぐにでも実行できます。

つまり、我々が中国との貿易によって得られる利益を犠牲にする覚悟を決めて、中国とのいかなる連帯も拒否する、という事です。

もし、世界の多くの人も私利私欲で動くのであれば、またはチベット人の幸福が別段私利にならないと感じるのであれば、もはや中国を止める事は難しいでしょう。


>元記事は、単に、中国政府によるチベット支配がどうして安定しているのかを説明するものであり、チベット亡命政府と中国政府のいずれをも支持するものではありません。

ええ、私も中国政府を応援するものだとは現段階では判断して居りません。


>(当サイトでは、個別に禁止ワードを設定しているのではなく、fc2.comが管理する上位100ワードを受け入れているだけです。)

ええそうだろうと思います。
このホームページ作成を提供している会社が、成人向けサイトに利用されないように講じた処置であろうと思います。また、私も別段それを批判している訳ではありません。分割して投稿した理由をいぶかしく思われるかも知れませんので、その理由を述べさせていただいた次第です。一つ、その会社に注文があるとしたら、どの言葉が禁止ワードであるのかを、明示していただきたい、という事です。それがなければ、ありとあらゆる単語を抜いたり変えたりして試行錯誤しなくてはならなくなりますので。

  • 2009年08月11日火
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>「もちろん、手足を切られたり、目を抉られたり、といった事はそのまま残虐な事ですが、それがどの程度行われていたのか、また農奴制は本当に過酷なものであったのかは、あるいはヨーロッパ人の誤解や伝聞を鵜呑みにした結果であるかも知れませんので、断定できません」にも反論しておきましょう。

>誤解や伝聞の結果ではなく、記録映像が残っています。同じように、中国がさまざまな人権団体に責められているのもまた、記録映像があるからです。

そうそう付けたしですが、以上の事も反論があります。

記録映像は、ある事柄が「起こった」ことは説明しますが、それがどれほどの「頻度」であったのかは説明してくれません。

例えば、石川五右衛門は釜茹でになったと言いますが、もしその映像が残っていたら、あるいは世界から日本は人を釜茹でにする風習がある、と誤解されるかも知れませんが、それはごく少数の特例であり、私は賛同できませんが、それ相応の理由があったからでもあります。

また、記録映像はチベットに住む人々の衣服や住居などを教えてくれる事はあっても、それがチベット人にはどういった水準であったのか、どう感じていたのか、また衣服や住居といった目に見えるものではなく、普段の生活はどのようなものであったか・・・は教えてくれません。

もし、労働時間、貧富の格差、栄養状況、平均寿命、一年のサイクル、生きて行く上での様々なルール・・・といったものを統計的に取れるのでしたら、彼らの以前の生活や社会形態が、より正確にリアルに把握する事ができるでしょう。

  • 2009年08月11日火
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  • シュワの墓所 #-
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「ダライ・ラマ14世が残虐な刑罰や習慣に公式に反対していない」とは私は申しておりません。

私が認識している事実は、ダライが元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束してはいない、ということです。中国共産党が旧支配層から剥奪し、農奴に分け与えた土地その他の財産について、ダライがどういう扱いをするつもりなのか、現時点で判断材料はありません。

ダライがどのような思想を唱えるのかということと、ダライが誰とどのような約束をするのかは全く別です。ダライが唱える思想と行動が一致するとは限りませんから、元農奴が少しでもダライ側に傾くには、ダライが元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束する必要があります。

  • 2009年08月11日火
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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農奴制の残虐性については、ヨーロッパ人やアメリカ人により、1920年代から1990年代にかけて、数多くの証言や映像記録があります。特殊な事例として片付けるのは無理があると私は思います。資料についての解釈でシュワの墓所さんと私の見解に違いがあれば、それは議論で埋まることではないと私は考えます。

「チベットのダライ・ラマ体制が数百年間も存続したのは、それなりの幸福を国民に提供した」には同意しません。もともと、最初の大ラマはモンゴル帝国のフビライ・ハンによって擁立されました。その後、中国王朝は歴代のダライ・ラマを軍事面、経済面で支援しました。人民の支持がなくても、ダライ・ラマを頂点とする封建制は存続できたのです。

一方、共産党による統治機構は、中国がアメリカと比べて遥かに脆弱だったころにも、アメリカCIAによる工作を排除しています。

チベット人の生の声を世界に向けて発信することに、私は反対していません。(ただ、単なる取材を超えて世論調査や人民投票まで行うことは、亡命政府も求めていないことは再度指摘しておきましょう。)

しかし、方法論について、私の見解はシュワの墓所さんとは異なります。私は、言論の制限について中国に圧力をかけることには反対します。

歴史的な時間はそれぞれの国で異なり、世界全体では非同期です。

例えば、ダライがかつてどのような圧政を行っていたとしても、当時の法ではそれが正当なものであったというよりほかはない。現在のチベットの法で過去の僧侶を裁くべきではありません。

同じように、現在のチベットでは、アメリカの干渉に堪えた中国共産党およびチベッチ自治区の政体が擁する法が法であり、諸外国は国境を越えた被弾圧者の保護すること、及び、中国に人権尊重の要望を提示すること以上の干渉をすべきではない。

私はかつて虐殺されていたクルド人を救うために、国際協力でフセイン体制を打倒すべきだと考えていました。しかし、アメリカの対イラク戦争が引き起こした惨状を見て、フセイン体制の法もまた法であった、そして、その体制と法を打倒するために立ち上がるかどうかは、やはり、クルド人を含むイラクの人民にゆだねられるべきだった、と思います。

  • 2009年08月11日火
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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>「ダライ・ラマ14世が残虐な刑罰や習慣に公式に反対していない」とは私は申しておりません。

なるほど、了解しました。
ダライ・ラマの14世の主な問題は、農奴制への態度のみである、という解釈でよろしいでしょうか?


>私が認識している事実は、ダライが元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束してはいない、ということです。中国共産党が旧支配層から剥奪し、農奴に分け与えた土地その他の財産について、ダライがどういう扱いをするつもりなのか、現時点で判断材料はありません。

確かにこれは気になる所ですね。
彼は私見では、時代性などもあり残虐な行いはしないと思いますが、農奴制を国の根幹と捉えてるかも知れません。

問題は、農奴制の実際の仕組みですが、少なくとも現在土地を得られた人々にとってより良くなる訳ではないでしょう。


>ダライがどのような思想を唱えるのかということと、ダライが誰とどのような約束をするのかは全く別です。ダライが唱える思想と行動が一致するとは限りませんから、元農奴が少しでもダライ側に傾くには、ダライが元農奴の現行身分と現行財産の保証を約束する必要があります。

それは、公式見解や約束においても同じです。
ダライがある思想を唱えていたとしても、実際の行動として後で反故する事も可能です。もちろん、その場合には反乱が起きるでしょうし、信頼は完全に失われるでしょう。
一方、ダライがある公式見解や約束をしていても、後で実際の行動においてそれを反故するような事をするかも知れませんし、それは可能です。もちろんこの場合にも、信頼は完全に失われ、反乱等が起きるでしょう。

  • 2009年08月12日水
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  • シュワの墓所 #-
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>農奴制の残虐性については、ヨーロッパ人やアメリカ人により、1920年代から1990年代にかけて、数多くの証言や映像記録があります。特殊な事例として片付けるのは無理があると私は思います。資料についての解釈でシュワの墓所さんと私の見解に違いがあれば、それは議論で埋まることではないと私は考えます。

ええそうですね。
資料における解釈の違いがあり、しかもある程度の議論をしてもそれは埋まらない場合は、もはやその見解の違いは埋まらないかも知れませんね。

Lexarさんが、農奴制についてのヨーロッパ人の記録や映像を紹介して下されば、私もLexarさんと同様の見解を持つようになるかも知れません。

こればかりは、実際の資料を見てみない事には何とも言えません。

私の”勘”では、それらはセンセーショナルなものを集めただけのものであり、一般的なチベット人の生活を表したものではないように思えます。

一つには、当時のヨーロッパ人はその人が学者であるのならば別として、非ヨーロッパ人の生活について偏見、あるいは誤解を持っているように思える事。
チベット自身が肥沃な土地に恵まれていた訳でも、温暖な気候であった訳でも、特別技術が進歩していた訳でもないため、一般的な人々の生活でさえ、虐げられているものと思われたかも知れません。しかし、それは支配者層の政策の如何によらず、当時のチベットでは致し方なかった生活であったかも知れないのです。

もう一つは、チベットの体制が400年に渡り存続して来た事です。大多数が少数を虐げる事は可能ですが、少数が大多数を虐げるのは、虐げられている人々が嗜被虐性をもたない限り、難しいと私には思われます。
歴史はパワーバランスで説明すると非常に分かりやすい。


>「チベットのダライ・ラマ体制が数百年間も存続したのは、それなりの幸福を国民に提供した」には同意しません。もともと、最初の大ラマはモンゴル帝国のフビライ・ハンによって擁立されました。その後、中国王朝は歴代のダライ・ラマを軍事面、経済面で支援しました。人民の支持がなくても、ダライ・ラマを頂点とする封建制は存続できたのです。

これは元やその後の王朝がどの程度チベット・ダライラマ体制を支援してきたか、という証拠を要します。

軍隊などを派遣したというのでしたら、数の関係で農民側には勝ち目は薄かったでしょうが、ただ単にダライ・ラマを国主といて認めていたというだけでしたら、その効力はあまりないでしょう。

軍事面、経済面での援助とは、果たしてどの程度の援助であったのでしょうか。


>一方、共産党による統治機構は、中国がアメリカと比べて遥かに脆弱だったころにも、アメリカCIAによる工作を排除しています。


アメリカという国が強国でも、現地での作戦を行う実効人数が問題です。

アメリカ連邦軍が出動したというのならば話は別ですが、数百人規模のCIAがもし工作を行ったとしても、人数規模では話になりません。

日本は中国を、ドイツはソ連を全軍をあげて征服しようとしましたが、これでさえ苦戦しました。他国を侵略するにはそこの軍隊の三倍の軍隊が必要であるといいます。もちろん、アメリカなどと戦わねばならなかったドイツや日本には、中国だけに戦力を割くことはできなかった、という事実がありますが、少なくともCIAの作戦規模よりも大きい。


>チベット人の生の声を世界に向けて発信することに、私は反対していません。(ただ、単なる取材を超えて世論調査や人民投票まで行うことは、亡命政府も求めていないことは再度指摘しておきましょう。)

重要なのは亡命政府の希望ではなく、チベット人民の希望です。亡命政府がチベット人民を選ぶのではなく、チベット人民が亡命政府を選ぶかどうか、という事が重要です。その意味においてだけ、亡命政府は重要性を帯びて来ます。もし、チベット人が亡命政府を選ぶのならば、多くの場合、我々はそれを支援する事が彼らの意思を尊重する事になりますし、彼らが亡命政府ではなく自分たちの選挙で選ばれた政府を望むのならば、それを支援すべきです。

  • 2009年08月12日水
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>しかし、方法論について、私の見解はシュワの墓所さんとは異なります。私は、言論の制限について中国に圧力をかけることには反対します。


私もできる事ならば圧力などはかけるべきではないと思います。
また、方法論もこれに限定したものだとも思いません。
時が解決してくれるかも知れません。

しかし、中国の周辺民族に対する人権弾圧が継続され、またはより強くなっているようであるのならば、少なくとも我々は情報を知ろうとするのが、人道を望む人の正しい選択ではないでしょうか。

結局は、日和見に終始し、遠い国のことだからと見殺しにした、という結果よりは良いかと思います。


>歴史的な時間はそれぞれの国で異なり、世界全体では非同期です。


それに似たような経過を辿る事は多いものの、その進展方向は国によって異なるでしょうね。


>例えば、ダライがかつてどのような圧政を行っていたとしても、当時の法ではそれが正当なものであったというよりほかはない。現在のチベットの法で過去の僧侶を裁くべきではありません。


まあ、もし残虐な行いをしていたのならば、裁かれても仕方のないような人々もいたかも知れませんが。

しかし、細かい習慣、食べ物、着る物、住まいなどの事い置いては、文化的・歴史的・比較的なものですので、現在からは判断できない面も多いでしょうね。

しかし、目をくり貫いたり、皮を剥いだりといった事は、時代の新旧を問わず、問題であると思います。


>同じように、現在のチベットでは、アメリカの干渉に堪えた中国共産党およびチベッチ自治区の政体が擁する法が法であり、諸外国は国境を越えた被弾圧者の保護すること、及び、中国に人権尊重の要望を提示すること以上の干渉をすべきではない。


それはチベットを中国の一部である、という前提においての結論です。
私は、チベットを中国の不可分の一部であるとは思っていません。

また、例え他の国の国内の事であっても、線引きは難しいですが、あまりに人権弾圧が酷い場合は、他国は何かの施策を練るのが、真に人道的だといえるのではないでしょうか。

人道は、国家形態や国境線よりも重いものだと解釈しています。


>私はかつて虐殺されていたクルド人を救うために、国際協力でフセイン体制を打倒すべきだと考えていました。しかし、アメリカの対イラク戦争が引き起こした惨状を見て、フセイン体制の法もまた法であった、そして、その体制と法を打倒するために立ち上がるかどうかは、やはり、クルド人を含むイラクの人民にゆだねられるべきだった、と思います。

私は思うに、クルド人が迫害されているのならば、クルド人だけを保護すれば良かったのだろうと思います。

各国で軍隊を出し合って、クルド人の住居周辺を警備し、当時のイラク政府によって虐殺などが行われないように守り、それだけをフセインに要求するべきだったと思います。

仰るように、当時のイラクのフセイン支配はそれなりの効果があり、結果論的に分かった事は、治安維持にどこよりも成功していた、という事でしょうね。

もっとも、現在のシーア派によるスンニ派に対する報復は、フセインの行ったシーア派に対する抑圧の負の遺産であった可能性もあります。

また、多くの先進国では、外国によって時の政府が倒されても、それでドメスティックに混乱が起き、収集が付かなくなるような事は、そこの国民が合理的に動こうとするために起きませんでした。

連合国軍が、日本やドイツ、イタリアの政府を倒した時の、その国家の再建がスムーズにいったという教訓が、アメリカをイラク治安維持に対する自信を持たせるようにしたのでしょう。

イラクのように頻繁に国内でテロが起きるような国は稀であり、それをアメリカが予測しえなかったとしても仕方がないかも知れません。

イラク戦争で問題なのは、ある事柄を予測できなかった事ではなく、予測しえないような事態が起きるかも知れないから、圧力をかけるにせよ、軍事行動をするにせよ、もっと慎重に、イラク人の意見も聞きながら、なるべく穏便に事を運ぼう、という方法を取らなかった事だと思います。

  • 2009年08月12日水
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  • シュワの墓所 #-
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記録映像を単なる「勘」による判断で、「センセーショナルなものを集めただけ」として瑣末化できるのであれば、旧体制のチベットで農奴たちが強姦され、眼球をくりぬかれ、手足を切断され、殺されたことと同じように、人民解放軍が僧侶を銃殺したことも瑣末化できますね。

農奴たちに対する圧政についてのヨーロッパ人たちの批判を「偏見」とするのであれば、同じように、僧侶たちに対する弾圧もまた、「偏見」なのかもしれない。

シュワの墓所さんはあまりにチベット亡命政府側に肩入れしすぎている、と私は感じてしまいます。

フビライ・ハンもその後の中国王朝も、ラマ僧たちを支援するために軍を派遣しています。当時のモンゴル王国の騎馬部隊は世界最強クラスです。ゆえに、旧チベット体制存続期間は、その体制が人民に支持されたという主張の論拠にはならない。

ところで、シュワの墓所さんの論理はぶれてます。近代的な軍事においては、装備の優劣を人数の多寡よりも重要視しておられてのではありませんか?

シュワの墓所さんは「戦車や銃、様々な兵器を所有する中国共産党に比べ、武力に置いても技術的にはるかに未熟だった(従って個人間の戦力にあまり差のない)時代において政権の転覆が起きなかった事実は、ある程度の人民の支持をその体制に必要とします」と述べられています。それに対し、その後の発言である「人数規模では話になりません」は矛盾します。

CIA本局員が数百人投入されれば、現地人工作員の数はその数十倍から数百倍になります。当時の人民解放軍は600万に満たないし、中国全土に展開していたので、当時125万人のチベット人民がダライらを支持していたとしたら、チベット独立は容易に成功していたでしょう。

チベットが中国から不可分かどうかは固定的な話ではありません。それは民族自決により決定されるべきことであり、過去に独立国でなかったとしても独立する可能性はあり、逆もまた真なりです。

民族自決は必ずしも独立に帰結しない。チベット人民が中国政府を選んだのであれば、それも民族自決の結果として尊重すべきでしょう。数多くの資料から私はそれこそが真実だと考えています。

さて、私自身はダライが何をいっても信じませんが、もしも私がダライだったならば、私は元農奴に謝罪し、元農奴の現行身分、現行財産の保証を約束するでしょう。元農奴の心理にかなりの影響を与えることができると思います。

チベットの予算の90%以上は中国政府からの支援金です。中国では少数民族が優遇され、基本的に都市戸籍が与えられ、公的な試験で平均すれば約+15%のゲタがあります。チベット人であれば大学入試や公務員採用試験で点数評価に+30%程度の加算があります。(実際、漢人から少数民族に登録を変更しようとする人が後を絶ちません。)

中国政府に比べると、ダライら亡命政府のほうは、どうも地に足がついていない。やっていることは政治のおままごとといっていい。

ところで、ジャーナリストによる自由取材をあまり歓迎しない中国政府ではありますが、様々な事案についての世論調査には前向きであり、要望が実行されることも少なくない。まずは、チベット自治区でジャーナリストの立ち会いつきでの世論調査を中国に提言するほうが、経済制裁のような敵対的な方法よりずっと生産的だと思います。

ダライ支持者であれば、まずは、肝心なことからは逃げてばかりのダライを説得し、世論調査を低減させるとよい。

  • 2009年08月12日水
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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議論をするには、相手の主張を正しく把握する事が重要です。

もちろん、私も勘違いや定義の微妙な違いなどによって、相手の主張を誤解して把握してしまう場合もあります。

しかし、すぐ参照できる一つの投稿内ですぐにその人物の主張が確認できる場合はそれに照らし合わせて考えるの重要だと思います。


>記録映像を単なる「勘」による判断で、「センセーショナルなものを集めただけ」として瑣末化できるのであれば、旧体制のチベットで農奴たちが強姦され、眼球をくりぬかれ、手足を切断され、殺されたことと同じように、人民解放軍が僧侶を銃殺したことも瑣末化できますね。

>農奴たちに対する圧政についてのヨーロッパ人たちの批判を「偏見」とするのであれば、同じように、僧侶たちに対する弾圧もまた、「偏見」なのかもしれない。

私の完全な主格となる主張は、「資料を見てみるまで、何とも言えません」です。

私は、資料を見てみるまで、何とも言えません。従って、資料を、あるいは資料からの抜粋を示していただかない限り、Lexarさんの論にそのまま賛同する訳には行きません。


上記、お示しの部分は、あくまで私の「勘」による推測に過ぎず、私の最終結論ではありません。

私の勘が間違いだとお思いならば、それに反論するような資料を提示して下さればよい訳です。


そして私は資料から読み取れるとされる、農奴への抑圧についてある程度懐疑しています。もちろん、これは決定論ではありません。

ヨーロッパ人から見て、たんなる習慣も抑圧に見えたかも知れません、と述べています。
現在の我々から見ても、明らかに抑圧であるような資料をお示しになれば、私は簡単に説得されます。

>農奴たちに対する圧政についてのヨーロッパ人たちの批判を「偏見」とするのであれば、同じように、僧侶たちに対する弾圧もまた、「偏見」なのかもしれない。

ですから、農奴たちに対する圧制と、僧侶たちに対する圧制とを同列に見るわけには行きません。
私は、農奴たちに対する「圧制」の存在の方を疑問視しているからです。

これは、圧制の事実を見て、しかしこれは問題とすべきではない、些末な事である、と結論しているのではなく、チベット人民が本当に農奴と呼べるものであったのか、そしてそれは本当に弾圧されていたのか、と疑問を呈しているのです。


ここまでが、一般的な日常の生活における話です。


>記録映像を単なる「勘」による判断で、「センセーショナルなものを集めただけ」として瑣末化できるのであれば、旧体制のチベットで農奴たちが強姦され、眼球をくりぬかれ、手足を切断され、殺されたことと同じように、人民解放軍が僧侶を銃殺したことも瑣末化できますね。

ここからが、普段の生活ではない、特別な事例についてのお話です。強姦は初めて出てきましたね。

私は、手足を切断されたり、目をえぐられたり、といった事を瑣末化しようとしている訳ではありません。

重要なのは、その頻度であると考えています。
(頻度次第では、特別な例ではなく、日常的な習慣に組み入れられますが)

大抵のどこの国にも恐ろしい処刑や拷問などを行った過去がありますし、ほとんどどの王朝でもそういった事を間接的にでも関わっていたのだろうと思います。

その歴史の歩みの中では、時に行き過ぎた行動を取る事もあります。

しかし、それに対してブレーキをかけようという力も働きます。

例えば、モンゴルにおいてチンギス・ハーンに敵対する部族の長は、チンギス側の捉えられた捕虜を釜茹でにしたりしていますが、その事が他の部族からの非難をもたらし、その戦いでは敗れたチンギス・ハーンの方へと諸部族を結集させる事になりました。
こうして、その釜茹でにした方の部族長は力を失い、後に滅びます。

ほとんどどこの王朝、国家でさえ、自国あるいは他国人を残虐に殺した過去をもっています。現在では平和の象徴のようなデンマークでさえ!

初期の国王は、スウェーデン独立派を100名近くも処刑したといいます。

しかし、その後そういった事件は起きていませんし、現在もそうです。

江戸時代、火災は木造の家が大半であった江戸では非常に恐ろしい災害でした。故意に火をつけ火災を起こした人間は火炙りとなりました。

さて、デンマークは大量処刑を行った後、ドイツやイギリスにそれを口実に実効支配されるべきだったでしょうか?現在でも、同じ王室が続いていますが、それを口実にアメリカ領にされてしまうべきでしょうか?

日本は、幕府のそういった処置を理由にスペインやフランスに征服されてしまうべきだったのでしょうか。


もし、目を抉られ手足を切断する、という行為が、それこそ日常的に繰り返されていたようなものであって(それで近代まで反乱が起きなかったのは不思議ですが)、その後も繰り返し行われるようなものでしたら、そこの領民にとっても、自分たちが他の国に実効支配されている方が好ましいでしょう。

また、その残虐な行為をされる理由が、何かの大罪ではなく、貴族や僧侶の気まぐれな命令が原因であったのならば、それはもはや国家として崩壊していますし、崩壊すべきでしょう。

しかし、チベットにおいて特例的に起こったもっともセンセーショナルな数少ない事例であり、その証拠写真が原因で、チベットという国家が消滅させられ、他国に永遠に隷属させられるような状態になったのだとしたら・・・


少なくとも、公式にはダライ・ラマ14世にはそういった刑罰を廃止する意向があります。
その国の事は、その国に任せて見てはどうでしょうか。

もちろん、それは資料の実際の頻度と、ダライのその後の実行した政策によって大きく違って来ます。
しかし、中国はそういった調査や検証とは無関係に、領土拡大のために侵略しました。

  • 2009年08月12日水
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  • シュワの墓所 #-
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シュワの墓所さんが「頻度」を重視していらっしゃるため、記録映像はあまり意味がないかもしれませんが、ワシントンD.C.にあるナショナル・ジオグラフィック・ソサエティーで記録映像を閲覧するといいと思います。

チベットへの進攻の際に人民解放軍を率いていたのはパンチェン・ラマです。中国人が一方的にチベットへ侵攻したのではなく、その意思決定にチベット人も参画していました。

ダライの亡命政府は「国」ではありません。逃げ出したダライにチベットを任せることはできません。

  • 2009年08月12日水
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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>フビライ・ハンもその後の中国王朝も、ラマ僧たちを支援するために軍を派遣しています。当時のモンゴル王国の騎馬部隊は世界最強クラスです。ゆえに、旧チベット体制存続期間は、その体制が人民に支持されたという主張の論拠にはならない。


なるほど、軍を送りましたか。
それならば、ダライ・ラマ体制が人民の支持を得ずにチベットを統治できたかも知れません。
もっとも、中央からの軍隊が送られる規模と頻度にもよりますが。
あまり酷い統治を突然始めたのならば、チベットで反乱が相次ぎ、ダライ・ラマは元に軍を要請している間に、民衆に殺されてしまうでしょう。
中央の駐屯軍などが必要です。

元のチベットへの軍の派遣とは、どのようなものだったのですか?

ところで、ダライ・ラマの称号を初めて送ったのは元の皇帝ではなく、元が滅びた後のモンゴルの首領です。

ここで問題なのはダライ体制ですから、ラマ僧は直接には関係ありません。


さてその後ですが、元の後の王朝もやはり頻繁に軍を派遣した、あるいは一定規模を駐屯させていたのでなければ、チベットのダライ体制が400年も存続した説明にはなりません。



>ところで、シュワの墓所さんの論理はぶれてます。近代的な軍事においては、装備の優劣を人数の多寡よりも重要視しておられてのではありませんか?

>シュワの墓所さんは「戦車や銃、様々な兵器を所有する中国共産党に比べ、武力に置いても技術的にはるかに未熟だった(従って個人間の戦力にあまり差のない)時代において政権の転覆が起きなかった事実は、ある程度の人民の支持をその体制に必要とします」と述べられています。それに対し、その後の発言である「人数規模では話になりません」は矛盾します。


もしかすると、人数規模での大小などでは、近代兵器に対し話しにならない、という主張だと思われたのでしょうか?

しかし、それだとすると文の構成がおかしくなります。

「アメリカという国が強国でも、現地での作戦を行う実効人数が問題です。

アメリカ連邦軍が出動したというのならば話は別ですが、数百人規模のCIAがもし工作を行ったとしても、人数規模では話になりません。 」

これが私の書いた文になりますが、「アメリカという国が強国でも」という前置きは、「でも」がついているため、次にはその影響を否定するような文が来る事を示唆しています。

「アメリカ連邦軍が出動したというのならば話は別ですが」という前置きも、そうでないならば規模が小さすぎる事を示唆しています。

当然、「数百人規模のCIAがもし工作を行ったとしても、人数規模では話になりません。」は人数規模が小さかった事を強調している文になりますので、話にならない、とは少なすぎて勝てない、という事を意味しています。

つまりここでは、人数が少ないために話にならない、つまり、話にならないぐらい少しの力しか持たない、という事を言おうとしているため、人口の大小が勢力を決める、という私の以前の主張と合致します。

中国の人口規模に対してCIAの人数が少なすぎるため、CIAが大量破壊兵器を持っていたというのでない限り、彼らの力だけで彼の思うがままの体制を作り上げる事はできません。

人民の支持が必要です。


>CIA本局員が数百人投入されれば、現地人工作員の数はその数十倍から数百倍になります。当時の人民解放軍は600万に満たないし、中国全土に展開していたので、当時125万人のチベット人民がダライらを支持していたとしたら、チベット独立は容易に成功していたでしょう。

上記、数百人は中国共産党を倒そうとした作戦に送られたCIAについての話です。

数の問題が当てはまらないのは、相手が近代兵器を持っている時です。

恐らく、中国にはソビエト連邦から与えられた戦車や飛行機などが多くあったでしょうし、単純な銃器であればすでに多く持っていたでしょう。

私は当時の人民解放軍の規模を知りませんが、600万という数字を受け入れたとして、それはなかなかの数です。
既にチベットの全人口を越していますし、その六分の一でさえ、チベットの人口と匹敵します。

人民解放軍がチベットに攻め入った時、既に国内での共産党の地位確立は終わり、国家体制は安定していました。もはや、内乱など大事のために治安維持を目的に軍隊を投じなくても、毛主席の地位は安泰でした。

当時の中国は朝鮮戦争後でした。つまり、既に中国は朝鮮戦争にて人民解放軍を派遣するぐらいの余力を持っていたのです。その力に圧倒されて、アメリカでは中国を核攻撃する事さえ考えていた者もいました。

朝鮮戦争も終わり、軍を再編し準備が整った頃に、人民解放軍はチベットの占領に向かったのでしょう。

中国のやり方に反対した30万人のチベット人の蜂起があったと以下には書いています。

下の記述が真実だとすると、中国は近代兵器を駆使してチベット人を虐殺して行き、もはや中国に反乱したいと思う気持ちをもたないようにして行った事が分かります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1959%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E8%9C%82%E8%B5%B7


数の力が大きく効いていた古代~中世と違い、近代~現代では兵器がものを言います。

更に、中国の人口とチベットの人口とでは比べるべくもありません。それぞれの地域の、軍にいけそうな堅強な男性の数も、それが人口の一定割合で同率ならば、やはり大きな違いがあります。

チベットは、自分からダライ・ラマ14世を追い出したのではなく、だんだんと強硬になってくる人民解放軍の脅威によって政変したのです。

  • 2009年08月12日水
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  • シュワの墓所 #-
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>チベットが中国から不可分かどうかは固定的な話ではありません。それは民族自決により決定されるべきことであり、過去に独立国でなかったとしても独立する可能性はあり、逆もまた真なりです。


そうです。私もまったく同じように思います。
ですから、中国側の「チベットはもともと中国の一部であった」はチベット統治の論拠になりませんし、もともと一部ではありませんでした。しかし、強い影響を受けていた事は確かです。

国境の話よりも、民族自決が重要であると私自身も考えます。
というのも、国境を基軸にしてしまえば、「勝てば官軍」というようになってしまうからです。
結局は、武力的に強い方が反対勢力を制圧し、国境を制定します。国連はそれに事後的に追従するだけです。その瞬間に、いかなる国際問題もドメスティックな問題に早変わりしてしまいます。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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>民族自決は必ずしも独立に帰結しない。チベット人民が中国政府を選んだのであれば、それも民族自決の結果として尊重すべきでしょう。数多くの資料から私はそれこそが真実だと考えています。


まったくその通りです。
そして、チベット人民の選択を必要悪としての多数決である程度決定するとなれば、人民投票などが必要になって来るでしょう。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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(またしも、禁止ワードによって投稿ができなかったため、分割して投稿します)


中国の現在行っている少数民族の迫害や言論弾圧を、過去のその民族の刑罰を理由にもくさつするべきではありません。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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今回の禁止ワードが特定できました。

どうやら、色々試した結果、「黙殺」が引っかかったようです。
この会社の禁止ワードには少し偏向があるようです。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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モンゴル帝国時代のラマ僧最高位は「大ラマ」であり、「ダライ・ラマ」ではありません。#436でも「最初の大ラマはモンゴル帝国のフビライ・ハンによって擁立されました」と私は書いています。

モンゴル帝国が送った軍の規模を具体的な数字で示すのは困難ですが、もともとチベットにあった西夏王朝を滅ぼすのに十分な規模でした。モンゴル帝国と大ラマ体制の関係は、現在の中国とチベット人民自治区の関係に似ています。西夏王朝滅亡後、チベットに国際社会が認めた独立政体は発生しなかった。

人民解放軍によるチベット侵攻時に、戦車や飛行機が使用されたという記録はありません。ロラン・デエの『チベット史』によれば、人民解放軍の規模は約4万人です。一方、チベット人義勇軍の規模は約8000人でした。1930年ごろのチベット人の人口125万を基準に考えても、人口の1%も立ち上がってはいないのです。

シュワの墓所さんが提示されたURLの内容でも、戦車や爆撃機のことは書かれていない。

当時の中国共産党に大軍をチベットに差し向ける余裕はなかった。陳桂棣と陳春桃が著し、中国で発禁処分を受けた『中国農民調査』を読むと、今でも中国共産党体制は中国全土をうまく掌握できていないことが分かるでしょう。中国共産党による農奴解放政策は実のところ今でも現在進行中であり、地方官僚と党中央の間で闘いは今後も続くと思われます。

中国の伝統的な統治慣習に、「王化」と「化外」があります。この慣習においては、皇帝がいる都は王化の中心であり、そこから離れるに従って徐々に中央政体の支配力は弱くなり、やがては周辺民族が自らを治める化外の地に至ります。この慣習が今でも中国の泣き所です。

  • 2009年08月13日木
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↑※今回は引っかかりませんでした。「に黙殺」という組み合わせが悪かったのか、どうか実験中です。よく分かりません。


さて、本題に入ります。



>シュワの墓所さんはあまりにチベット亡命政府側に肩入れしすぎている、と私は感じてしまいます。

私はチベット亡命政府に肩入れしてはいません。
私はあくまで中立の立場です。Lexarさんのご主張が、チベット亡命政府に対する攻撃色が強すぎると考えたため、幾つかの反論をしているに過ぎません。つまり、そこまで断定できないと思っているだけです。

私はチベット亡命政府に恩も恨みもないのです。チベット人がそれを選ぶならばそうすればよいし、それを選ばないのならば、そうすれば良い。
しかし、言論封鎖されたり、武力で無理やり、というやり方に異を唱えているのです。

少なくとも、平和裏に行われたデモに対して発砲されるような体制では、チベット人の生の声は反映され難い。




>さて、私自身はダライが何をいっても信じませんが、もしも私がダライだったならば、私は元農奴に謝罪し、元農奴の現行身分、現行財産の保証を約束するでしょう。元農奴の心理にかなりの影響を与えることができると思います。


もちろん、そのようにすべきでしょうね。
ただし、それにはダライ・ラマ14世が過去の行いについて悪かったという自覚が必要です。そして、その自覚には、本当に過去のチベット体制は人民抑圧的であったという事実とその証拠が必要です。

目をくり貫いたり、手足を切ったり、といった事で言えば(少なくとも映画では)彼はチベットにいた頃から反対していた事になっています。鎖につながれている人を見ただけで心を痛めているようでしたし。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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結論:「もくさつする」この漢字表記が禁止ワードでした。
これは恐らくバグではないかと思われますが。



>チベットの予算の90%以上は中国政府からの支援金です。


もともとの政府予算が小さいのかも知れません。
その90%の使われ方が問題です。
デモ弾圧などの治安維持のための警察に殆どを使っていたのでは、あまり人民のためにはなりません。



>中国では少数民族が優遇され、基本的に都市戸籍が与えられ、公的な試験で平均すれば約+15%のゲタがあります。チベット人であれば大学入試や公務員採用試験で点数評価に+30%程度の加算があります。(実際、漢人から少数民族に登録を変更しようとする人が後を絶ちません。)


にも関わらず、チベット人の反乱が起きたのです。
私がもし僧であり、自分たちが地位を追われた事を恨みに思っていたとしても、自分たちが殺されるような暴動は起こしません。他の漢人よりも優遇されている生活の方を選び、勝てそうもない闘争を諦めるでしょう。

しかし、実際に反乱が起きた事を考えると、中国が国内外にアナウンスしている事と実態とには開きがある可能性があります。

人が自分の境遇を本当に喜んでいるかは、その人の言葉を見るよりも、実際の選択を見た方が良い。
例えば、国が生産品をつくり配給する社会よりも、人々が自由に選択して選ぶ企業の方が、人々に結局は好まれている事が分かります。

優遇政策を行っているはずなのに、中国にはチベットを自分たちの国家の一部として置く事に自信がありません。よって言論封鎖を行うのです。

なぜ、チベット人は暴動やデモをするのでしょうか?



>中国政府に比べると、ダライら亡命政府のほうは、どうも地に足がついていない。やっていることは政治のおままごとといっていい。


まあ、お坊さん連中ですから。
軍事、政略的な駆け引きにはもともと向いていないのかも知れませんね。



>ところで、ジャーナリストによる自由取材をあまり歓迎しない中国政府ではありますが、様々な事案についての世論調査には前向きであり、要望が実行されることも少なくない。まずは、チベット自治区でジャーナリストの立ち会いつきでの世論調査を中国に提言するほうが、経済制裁のような敵対的な方法よりずっと生産的だと思います。


もちろん、私の提案は初めに中国に言論によって要請する事が含まれています。
経済やその他の制裁は、最終手段としてのものです。

ただし、現在でも一般人の声でさえ封鎖し、ネットでも閲覧を禁止しているとされている中国が、また、デモでさえゆるさない中国が、他の事はともあれ、ことチベット関連において投票や世論調査実施に応じるとは到底思えないのですが。



>ダライ支持者であれば、まずは、肝心なことからは逃げてばかりのダライを説得し、世論調査を低減させるとよい。


よく意味が分かりません。
世論調査の低減とは何でしょうか?

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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いや、シュワの墓所さんは中立ではないと思います。

もしも中立であられるとしたら、「平和裏に行われたデモに対して発砲される」というのも、旧体制による農奴への虐待や殺害と同じように、頻度が確定するまでは、なんともいえない、という態度を取られるべきです。

私は中立です。

チベット旧体制は言論の自由を認めていなかったので、中国政府が同じく言論の自由を認めなかったとしても、経済制裁などの干渉を望まない。要望を出すにとどめたほうがいい。

  • 2009年08月13日木
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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チベットでの暴動は規模も小さく、僧侶ら旧支配階級を中心とするものです。中国政府によるゲタを受け入れても、以前の贅沢な暮しに及ばないことに不満があったのでしょう。

「低減させる」はタイポです。「提言させる」と書きたかった。

  • 2009年08月13日木
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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>モンゴル帝国時代のラマ僧最高位は「大ラマ」であり、「ダライ・ラマ」ではありません。#436でも「最初の大ラマはモンゴル帝国のフビライ・ハンによって擁立されました」と私は書いています。


なるほど、そうでしたか。
しかし、問題なのはダライ・ラマ体制である事に変わりはありません。
ダライ・ラマという称号があって初めて、宗教界のNO.1が決定し、また同時に政治権力をも持つようになったのではないでしょうか?
大ラマは政治機構ではなく、宗教的権威であるため、農奴とは直接関係ありません。



>モンゴル帝国が送った軍の規模を具体的な数字で示すのは困難ですが、もともとチベットにあった西夏王朝を滅ぼすのに十分な規模でした。モンゴル帝国と大ラマ体制の関係は、現在の中国とチベット人民自治区の関係に似ています。西夏王朝滅亡後、チベットに国際社会が認めた独立政体は発生しなかった。


西夏はチベットの北にあったのではないでしょうか?民族はチベット人と同じですが、別の地域で、滅ぼしたのもチンギス・ハーンではなかったでしょうか?

ところで、ダライ・ラマ体制がぐらいついた時にいつでも軍隊を中国の各王朝が送っていた、という歴史的事実を示していただかなければ、チベット体制を中国が時代を通して支援していた、という事に同意できません。

しかし、もし歴代中国王朝が積極的にダライ体制を支持してきたのならば、すごい話です。

中国の人口が例えば4億だったとして、その0.1%をチベットに派遣するだけで、40万の軍隊となります。

チベットの体制を本気でささえようとしていたのならば、チベット人民は数の問題でどうする事もできなかったかも知れません。

しかし、ほとんど完全な自治を認めていた(そしてチベットにあまり関心のなかった)明~清の各王朝のチベットへの影響に比べ、チベットを積極的自国に含み入れようと考えていた中華人民共和国や中華民国の影響の方が強そうです。更に、現代では通信や移動、戦争の技術が上がっています。



>人民解放軍によるチベット侵攻時に、戦車や飛行機が使用されたという記録はありません。
>シュワの墓所さんが提示されたURLの内容でも、戦車や爆撃機のことは書かれていない。


これは映画「クンドゥン」を基にしています。
そこには戦車のものであるかは分かりませんが、雨あられの砲弾と、飛行機での地上掃射の場面が登場します。

上記URLの記事にも宮殿の爆撃の脅しをした、という箇所があります。朝鮮戦争であれだけの活躍をした人民解放軍でしたから、それくらいの装備はあったでしょう。



>ロラン・デエの『チベット史』によれば、人民解放軍の規模は約4万人です。一方、チベット人義勇軍の規模は約8000人でした。1930年ごろのチベット人の人口125万を基準に考えても、人口の1%も立ち上がってはいないのです。


残りは民兵だったのでしょう。
チベットには恒常的にどこかと戦う、という前例はなく、よって常備軍というものもそれほどの規模ではなかった事が容易に推測できます。つまりゲリラによる抵抗です。人民解放軍も反乱への報復で農家を攻撃しています。これは、農民が戦争にゲリラ的に参加していた事を暗に物語っています。

また、人民の殆どが中国に反感を抱いていたとしても、本当に戦える人々は限られています。

例えば家族が8人だったとしても、その内、年老いた祖父母は戦えません。祖父母の数が3人だったとします。
子供の5人の内、3人は幼すぎて戦えないとしますと、戦えるのは父と息子二人です。もしかすると、年長の子供の内の一人は娘であったかも知れません。

人口が8人でも、戦えるのは2人です。

更に、中国の軍備や強大さを知っている人々ならば、例え中国の支配に不満を持っていたとしても、自分の身を危険にさらしてまで抵抗する事に躊躇するでしょう。自分にもしもの事があれば、自分だけでなく家族の生活も犠牲になります。働き手がいなくなるからです。

中国に反感を持っていたとしても、実際に初期の頃に先頭に参加しようとする人々は半分ぐらいしかいないのではないでしょうか。

8人に2人、つまり4分の1のまた半分ですから、8分の1になります。ここから義勇軍を除きます。計算の便宜上、人口の1/10として計算すると、1万2千人です。

つまり、義勇軍と同じか、少し多いぐらいの数の民衆ゲリラの協力があれば、それはチベット人口のほとんどの反乱支持と取っても良いであろう数と言える事になります。

実際には、中国の支配を積極的に受け入れていた人、中立であった人が一定割合存在していたと思われますから、民衆の協力人数はもっと少なかっただろうと思われますが、しかし近い数字ではあったのではないでしょうか。


しかも、上記の中国支配に賛成していた、あるいは反対しなかった人々は、まだ共産思想や革命に大きな期待を持てていた時期の人々ですから、生きていても現在ではどう思っているか分かりません。

ダライ・ラマ体制に当初は反感を持っていた事により、人民解放軍に期待を寄せるかも知れない事は大いにあり得る事です。しかし、重要なのは、実際に中国支配が確立して数十年経った今、彼らがどう思っているか、です。

こればかりは、こちらでいくら推測しても正確な事は分かりません。正しい民意の確認には、中国が報道を自由化したり、政治における人民投票などを許可する必要があります。



>当時の中国共産党に大軍をチベットに差し向ける余裕はなかった。


川崎市の人口は140万強ですが、この市に4万人からなる軍隊が来れば相当な脅威です。

もちろん、素手の人間がそれだけ集まっても、長期的には人口規模では30倍以上の住民に撃退されてしまうでしょうが、近代兵器を持った4万人規模の人々と前近代兵器しか持たない住民でしたら戦力は歴然としています。
更に、中国が本気になれば後続部隊が訪れることを計算に入れれば、恐ろしくてなかなか正面から反抗は難しいでしょう。

中国の規模は今も昔も強大です。
帝国日本軍も日清戦争でまさかあそこまで順調に勝てるとは思っていませんでした。今までの中国に対する大国である、という先入観があったからです。
元が少しの軍勢割いただけで、鎌倉幕府は財政難によって倒れてしまいました。

チベット人の恐怖の程が伺えます。


>陳桂棣と陳春桃が著し、中国で発禁処分を受けた『中国農民調査』を読むと、今でも中国共産党体制は中国全土をうまく掌握できていないことが分かるでしょう。中国共産党による農奴解放政策は実のところ今でも現在進行中であり、地方官僚と党中央の間で闘いは今後も続くと思われます。

>中国の伝統的な統治慣習に、「王化」と「化外」があります。この慣習においては、皇帝がいる都は王化の中心であり、そこから離れるに従って徐々に中央政体の支配力は弱くなり、やがては周辺民族が自らを治める化外の地に至ります。この慣習が今でも中国の泣き所です。


これは、地方幹部と地方との癒着、あるいは地方幹部と中央との戦いの話ですから、共産党の支配確立とは関係がありません。

毛主席を初め、共産党にとっては、取り合えず共産党政権に対する反乱や、政権奪取をするような勢力がなくなればそれで良かった。

その頃の中国は貧しかった事は確かですが、朝鮮戦争や大躍進、文化大革命を行えるほどの余裕はありました。
つまり、毛や共産党の権限がそれだけあった、という事です。

汚職や癒着は、中央官僚や警察が憂慮すべき問題で、軍隊が出動すべき問題ではありません。

  • 2009年08月13日木
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>シュワの墓所さんが「頻度」を重視していらっしゃるため、記録映像はあまり意味がないかもしれませんが、ワシントンD.C.にあるナショナル・ジオグラフィック・ソサエティーで記録映像を閲覧するといいと思います。


なるほど。
これはちょっと時間がかかりそうですね。
私には近いうちに米国に行く予定は今のところないもので。

では、映像ではなく、できれば日本語で、英語でも結構ですので、何かチベットに対するヨーロッパの人の記述で、Lexarさんの論拠となるものはありませんか?抜粋で構いません。



>チベットへの進攻の際に人民解放軍を率いていたのはパンチェン・ラマです。中国人が一方的にチベットへ侵攻したのではなく、その意思決定にチベット人も参画していました。


ええ、大国が小国の政権争いを利用する事は良くある事ですね。日本が満州国を建国したり、スペインがインカ帝国を征服したりといったようにです。チベット人にだってダライ・ラマ体制を快く思っていなかった人々は多くいたでしょう。

だからといって、中国の一部にして良い謂れはありません。後でその時の軍備に使った費用を要求しても良いかも知れませんが。



>ダライの亡命政府は「国」ではありません。逃げ出したダライにチベットを任せることはできません。


暗殺されると分かっていたら、わざわざ国内に残ったりはしないでしょう。ナチスに占領された各国の反対派は亡命を余儀なくされました。もちろん国内に残って抵抗した人々は潔い。しかし時には引くことも知らないと大きな損害を出すだけで、結果は残せません。

  • 2009年08月13日木
  • URL
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>もしも中立であられるとしたら、「平和裏に行われたデモに対して発砲される」というのも、旧体制による農奴への虐待や殺害と同じように、頻度が確定するまでは、なんともいえない、という態度を取られるべきです。


現在、まだダライ・ラマ体制がチベットにおいて確立されていて、未だに残虐な処刑や虐待が続いていたとしたら、私はチベットの体制についても問題視していたでしょう。
ある国の事は国に任せるべきとは思いますが、限度があります。ある国を他国が勝手に干渉する事は、その国の誇りをあるいは傷つけることになりますし、多くの場合他国の干渉には人道とは他の意図、つまり他国の利益追求が隠されている場合が多いため、賛同できない事が多い。しかし、その国の人権弾圧があまり酷く、更にそこの人々が外部に助けを求めている事が分かったのならば、自国(日本でしょうか)や協力してくれる他の世界の国々の信頼性次第では私はそれらの国への軍の派遣に賛成するでしょう。

また、中国がチベット人の要請によってダライ・ラマを追放する事に協力した事だけであれば、私はそこまで反対しません。条件次第ではむしろ賞賛したかも知れません。しかし、その後その国や地方を永遠に実効支配し、例えば土地を奪ったり権限を制限したりするようになれば、やはりそこのところは問題視せざるを得ません。
それが自国の軍隊の行動であってもです。

しかし現在の共産党によるチベット人弾圧や僧侶殺害といった事についても、重要なのはその頻度であり、そういった事件が一件でも起きたら直ぐにでも軍隊を派遣したり、経済制裁を加えるべきだとは思いません。

天安門事件があったとしても、それがすぐ諸外国が中国に干渉する理由にはなりません。中国には自己治癒能力があり、諸外国が干渉して政府を倒していれば広大な国内が大混乱に陥ったであろうと思われますが、そういった事が行われなかったので、現在も中国は国としての秩序をある程度保ち、その時の指導者によって経済大国へと進んでいます。過ちはどの政権にもあるものです。特に発展途上の国においては。

しかし、中国が言論封鎖を続ける限りは、内陸部のチベットに関しては、その虐待の程度、頻度でさえ細々としてしか伝わって来ません。そして、その細々と伝わったごく控えめな、少数の、中国の言論統制の壁からもれることができた情報だけを見ても、憂慮すべき弾圧の姿がそこにあります。

私が望むのはチベットの独立ではなく、チベット人の考えにそってチベットを決める事と、情報が自由に行き来する事です。

亡命政府がもし仮に鬼畜生のような存在であっても、上記の事になんら変わりはありません。



>チベット旧体制は言論の自由を認めていなかったので、中国政府が同じく言論の自由を認めなかったとしても、経済制裁などの干渉を望まない。要望を出すにとどめたほうがいい。


重要なのは過去ではなく今の状態です。
過去に残虐な刑罰が仮に頻発していたとして、現在でもそれは恒例であるからといって正当化できるでしょうか?


基本的な人権や人道に洋の東西はないように、基本的な人権や人道に、過去の歴史は関係ありません。


また、報道封鎖だけが行われているのならば特に問題ないかも知れません。チベットの文化が世界に伝わりづらいといったぐらいの不便しかありません。
しかし、大抵、報道封鎖は人には言えないような人権弾圧とセットになっています。何もないのにわざわざ報道を封鎖したりはしません。

問題なのは、報道封鎖それ自体ではなく、陰に隠れているであろうチベット人の生活の大きな破壊の方です。それがあるのかないのか分からない状態では、経済封鎖すべきかどうかは、何とも言えません。資料がないからです。



>チベットでの暴動は規模も小さく、僧侶ら旧支配階級を中心とするものです。中国政府によるゲタを受け入れても、以前の贅沢な暮しに及ばないことに不満があったのでしょう。


しかし奇妙な事です。
チベットでの「贅沢な暮らし」がいかほどのものであったのかは分かりませんが、仮にそれがかなりすばらしいものであったとしても、それはもう戻りません。
中国がその影響を及ぼさなくなっても、人民は一度僧侶から手に入れた土地やその他を手放す事はないでしょう。僧侶の武力だけでそれを取り戻すのは不可能です。

そういった取り戻せないもののために、生死をかけてデモや暴動を起こしても何にもなりません。
それよりも、有利な公務員になった方が良い。


結論がおかしくなる事自体、この命題にどこかおかしな部分が含まれている事を示唆します。

本当に僧侶は贅沢な暮らしのために暴動を行ったのか?中国のチベット人に提供する暮らしはそんなに良いものであったのか?羊頭狗肉ではないのか?



>「低減させる」はタイポです。「提言させる」と書きたかった。


なるほど、以前に亡命政府は人気がないため世論調査はむしろ亡命政府を不利にさせる、というような事を述べて居られたので、そういった事と関連しているのかな、と思いました。

確かに亡命政府にも、独立と言う前にまず世論調査を行うように要求する事が懸命かも知れません。それさえ中国が拒めば、中国は自分たちが支持されていない事を暗黙に世界に対して認めた事になります。

もっとも、私は前にも書きました通り、亡命政府の積極的な支持者ではありません。または専属の支持者ではありません。ウィグルに対する弾圧にも心を痛めます。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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『クンドゥン』は信用しない。それは亡命政府側の一方的な主張であり、有効な歴史資料ですらありません。

英語資料は、
http://reviva.blog1.fc2.com/blog-entry-1389.html
にいくつか紹介しています。まだまだありますので、記事として追加していきます。

民族自決の原則は言論の自由をあらかじめ誰かが用意することを当然としていない。

民族自決権が認められた過去の事例、例えば、サンミル独立運動では、日本の武断政治に抵抗し、人口の1/8が立ち上がりました。大チベットの独立または高度な自治をダライは求めていますが、サンミル運動を基準にすれば、約50万人が立ち上がらない限り、チベット人民の民族自決が独立や高度な自治を選択した、と国際社会が認知することはないでしょう。

1950年代のチベット侵攻時、現在の僧侶たちのデモのいずれも、規模が小さすぎて話にならない。

内乱はどの国においても大罪であり、あらゆる政体には内乱や内乱扇動を鎮圧する権限があります。チベットの独立や高度な自治を求めて僧侶たちがデモを行えば、自治区政府や中国政府がそれを鎮圧するのは当然であり、僧侶たちが武装しているかどうかは関係がない。

それでもなお僧侶たちがデモを続け、それに参加する人数が数々の弾圧にもくじけずに50万人に達することがあれば、国際社会は大チベットの独立または高度な自治を支援し、中国政府もそれを認めざるをえなくなるでしょう。

国の独立というのは、独立派が既存支配体制から国をもぎ取るということなのですから、その過程がラフでタフでハードになるのは必定です。

チベット独立派が中国の内乱鎮圧を人権問題であるとみなして第三者に泣きついた時点で、実は独立派の負けなんですよ。彼らはラフでタフでハードな過程に耐えられず、自治区政府や中国政府と対等以上にはなれなかったことを露呈しているのです。だから、先進国から相手にされない。

一方、仮に中国が全土で言論の自由を認めたとすると、これはこれで独立派にとっては別の難しさを伴う状況を作り出します。自由に発言できるのであれば、何をいったとしても、単なる冗談とみなされてしまうことがあります。沖縄出身の芸能人が沖縄について、「早く独立して欲しいと思っています」のような発言をすることは過去に何度かありましたが、いうだけなら自由ですから、その発言が冗談なのか本気なのかは効果的な判定ができない。

私もネット上で沖縄独立論を唱えてみましたが、日本政府は極めて寛大であり、私が内乱扇動の容疑で逮捕されるようなことは一度もなかった。もしも明治憲法体制が続いていたとしたら、同じ発言で私は一人の勇者くらいにはなれたんでしょう。

  • 2009年08月13日木
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  • Lexar #tV7uNBRQ
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実は、ダライ・ラマ1世は生前に「ダライ・ラマ」の称号をもっていなかった。ダライ・ラマという称号が作られた時代に、後付けで、1世はダライ・ラマになったのです。

体制史の始原において、称号は権力に先立たない。日本で最初に「天皇」の称号を持つにいたったのは推古天皇であり、それ以前の天皇たちは後付けで天皇に数えられるようになりました。が、後付け天皇たちまたは彼らを擁立した人々に権力がなかったのではない。

西夏はチベットの北に成立し、その後、南と東に勢力を広げていますね。チンギス帝時代にモンゴル帝国は西夏を滅ぼし、フビライ帝時代にモンゴル帝国は大ラマを擁立しました。フビライが帝位についたのは、チンギスの死去から33年後のことです。

モンゴル帝国はその財政が傾くほどラマ僧に入れ込みました。それと比べると、その後の王朝のチベット封建制支援は控えめであったとみなすことはできます。

しかし、チベット封建制が言論の自由を認めていたのではありませんから、その存続そのものでは封建制が人民に支持されていたとはみなせない。

シュワの墓所さんとは異なり、私は兵器の近代化は、ある時期まで、支配体制を軍事的に不安定化させたと考えています。チベット封建制は、兵器の近代化以前であったため、人民の不支持にかかわらず安定した、と私は考えます。

徳川家康の時代に日本の軍事技術は防水銃の開発に至りましたが、家康はその大量生産と普及を禁じました。槍術や剣術勝負では商人が武士を負かすことはほとんどありえないが、銃での勝負ならほぼ互角になってしまうからです。

同じ武士同士でも、槍や剣の技量の差は現代人の想像を超えて大きくなることがあります。例えば、上泉伊勢守とその門弟200人は、3万人の武田軍を相手に互角の戦いを見せ、上泉伊勢守側ではだれも死ななかった。

宮本武蔵は1人で吉岡門弟50人以上を打ち破っています。

槍や剣に十分な強度が実現されてから、強力な長距離射程兵器が開発されるまでの間の支配体制は、一般に長期安定する傾向があります。東ローマ帝国は典型例です。

強力な長距離射程兵器がなかった時代には、10倍の兵力があっても、優位性は10倍にはならなかった。矢が尽きてしまえば、戦闘は両勢力が接触している部分に限定されてしまったからです。

  • 2009年08月13日木
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>『クンドゥン』は信用しない。それは亡命政府側の一方的な主張であり、有効な歴史資料ですらありません。


Lexarさんはそう言われるかなとは思いました。

そういった意味では航空機や戦車が実際に投入されたかはまだ分かりませんが、投入「できた」事は確かでしょう。朝鮮戦争において既に中国は旧日本軍程度の装備ならば多く持っていましたし、ソ連から最新鋭の戦闘機でさえ提供されていました。

これは、モンゴルの騎馬軍団が駆けつけるよりも恐ろしいものでしょう。



>英語資料は、
http://reviva.blog1.fc2.com/blog-entry-1389.html
にいくつか紹介しています。まだまだありますので、記事として追加していきます。


それらの資料を参照できるURLなどをご存知でしょうか?あるいは施設など。
または国会図書館などに赴かなければ参照できないものでしょうか?
もし宜しければお教え下さい。



>民族自決の原則は言論の自由をあらかじめ誰かが用意することを当然としていない。


これは異な事を仰られる。
言論や報道や調査の自由がなければ、そもそも誰がどの民族だと自覚していて、どのような政治を望んでいて、独立したいと望んでいるかどうか、さえ分かりません。

そもそも民族自決の中の自決には、自分たちの言論を他から妨害されずに自分たちで決める、という事も含んでいます。

どこかの国が「民族自決の方針」により独立が認められても、言論の自由だけは与えられない、というのでは独立は完全だとは言えないでしょう。



>民族自決権が認められた過去の事例、例えば、サンミル独立運動では、日本の武断政治に抵抗し、人口の1/8が立ち上がりました。大チベットの独立または高度な自治をダライは求めていますが、サンミル運動を基準にすれば、約50万人が立ち上がらない限り、チベット人民の民族自決が独立や高度な自治を選択した、と国際社会が認知することはないでしょう。

>1950年代のチベット侵攻時、現在の僧侶たちのデモのいずれも、規模が小さすぎて話にならない。

私は立ち上がった人々の数だけで、そこの民族感情を考えるべきだとは思っていません。

31運動のように平和裏に行われた、理想の高い運動でさえ、あちこちで日本の官憲によって虐殺や放火が行われました。

例えて言うのならば、ガンディーの非暴力運動に、イギリス軍が発砲し、村を焼き討ちにしたようなものです。
ガンディーの場合、実際にはそうはなりませんでしたが。

これで、日本はその暗黒に歴史においても、ロシアやイギリス、フランス、ドイツなどの列強に仲間入りを果たしてしまいました。
とにかく、明治~昭和初期の日本の軍隊と警察は酷い。これにはもちろん一般民衆の世論も深く関わっています。

この事件における朝鮮側の日本に併合される事に対する意思ははっきりとしていますが、そこまで大規模でなくても、併合に反対しているかどうかの意思は汲み取れると思います。

上記、31運動が示唆するように、圧倒的な武力を持った側に民衆が反乱する事はもちろん、反対運動を起こすことそのものでさえ、生命の危険が強く伴います。

そうした生命の危険(場合によっては全滅)をもってしか、独立の意思だとみなさない、というのであれば、それはどうも人道主義からは遠のいている気がします。

  • 2009年08月13日木
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>内乱はどの国においても大罪であり、あらゆる政体には内乱や内乱扇動を鎮圧する権限があります。チベットの独立や高度な自治を求めて僧侶たちがデモを行えば、自治区政府や中国政府がそれを鎮圧するのは当然であり、僧侶たちが武装しているかどうかは関係がない。


もともとの抵抗運動は内乱ではなく、外国へのレジスタンスであり、昨今の事件はもともとは内乱ではなく単なるデモや集会です。

もっとも、独立運動やレジスタンスと内乱との線引きは、やはり国境という問題が絡んで来るため非常に難しい事は確かです。


>それでもなお僧侶たちがデモを続け、それに参加する人数が数々の弾圧にもくじけずに50万人に達することがあれば、国際社会は大チベットの独立または高度な自治を支援し、中国政府もそれを認めざるをえなくなるでしょう。

それでも認めなかった日韓併合の例があります。
しかし、我々は野蛮な時代はもう脱却しましょう。


>国の独立というのは、独立派が既存支配体制から国をもぎ取るということなのですから、その過程がラフでタフでハードになるのは必定です。

>チベット独立派が中国の内乱鎮圧を人権問題であるとみなして第三者に泣きついた時点で、実は独立派の負けなんですよ。彼らはラフでタフでハードな過程に耐えられず、自治区政府や中国政府と対等以上にはなれなかったことを露呈しているのです。だから、先進国から相手にされない。


圧倒的な人口を要する中国でさえ日本軍の攻撃に耐え切れず、アメリカに泣き付きました。そして中国の防衛は多くの犠牲を出したものの成功しました。

しかし、アメリカの協力がなかったとしたら、ポーランドやユダヤ人、中国、韓国の運命はどうなっていたでしょうか?

チベットの場合は上記の例と同じように、迫害されています。そして上記の多くの例と同じようにもともとは独立国でしたから「もぎ取る」は正しくない。

そして更に、チベットの国力と人口は、上記の国々や人々とは比べるべくもない。

また、民族の消滅や奴隷化をもともと目論んでいたドイツと違い、日本の目的は勢力拡大だけでしたので、日本統治下ではまだ生活に希望が持てました。戦局が悪化しなければ、日本による虐殺や抑圧は日増しに減って行ったでしょうし、実際、台湾や韓国での近代化に成功しました。

しかし、中国での統治では貧しさはあまり解消されず、場合によっては核実験場ともなってしまいます。

日本帝国の事も、あちらこちらでの惨劇を聞くので、あまり信用できませんが、中国がそれよりもずっと信頼できるとは言い切れません。

中国では、文化大革命や大躍進で多くの自国民を殺してしまった前例があります。



>一方、仮に中国が全土で言論の自由を認めたとすると、これはこれで独立派にとっては別の難しさを伴う状況を作り出します。自由に発言できるのであれば、何をいったとしても、単なる冗談とみなされてしまうことがあります。沖縄出身の芸能人が沖縄について、「早く独立して欲しいと思っています」のような発言をすることは過去に何度かありましたが、いうだけなら自由ですから、その発言が冗談なのか本気なのかは効果的な判定ができない。


沖縄の人が何万人も集まって独立デモを行えば、「またまた、沖縄の人は冗談がお好きですね」とはならないでしょう。



>私もネット上で沖縄独立論を唱えてみましたが、日本政府は極めて寛大であり、私が内乱扇動の容疑で逮捕されるようなことは一度もなかった。もしも明治憲法体制が続いていたとしたら、同じ発言で私は一人の勇者くらいにはなれたんでしょう。

日本も人権意識がそこまで強くありませんし、良くて他の先進国並みですから、沖縄の独立が、たとえ沖縄の人の過半数を優に超えた意見だったとしても、直ぐには実現しないように思えます。

しかし、言論の自由だけはあります。
言論の自由、がいかに重要であるかが改めて実感できますね。
加えて、過去の資料や海外の情報の収集の自由もあります。

日本が明治憲法のままであったならば、我々は既に事情聴取を受けているでしょう。
情報の授受の自由だけは固持しなければなりませんし、目指さなければなりません。

もし、我々がそれがない国に住んでいるのだとしたら、チベットの情報はおろか、自国の政治の情報さえ掴めません。

  • 2009年08月13日木
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>実は、ダライ・ラマ1世は生前に「ダライ・ラマ」の称号をもっていなかった。ダライ・ラマという称号が作られた時代に、後付けで、1世はダライ・ラマになったのです。
>体制史の始原において、称号は権力に先立たない。日本で最初に「天皇」の称号を持つにいたったのは推古天皇であり、それ以前の天皇たちは後付けで天皇に数えられるようになりました。が、後付け天皇たちまたは彼らを擁立した人々に権力がなかったのではない。
>西夏はチベットの北に成立し、その後、南と東に勢力を広げていますね。チンギス帝時代にモンゴル帝国は西夏を滅ぼし、フビライ帝時代にモンゴル帝国は大ラマを擁立しました。フビライが帝位についたのは、チンギスの死去から33年後のことです。

モンゴルが西夏を滅ぼしたのはチベットを拡大させるためではありませんし、ダライ・ラマに土地をあげた訳でもありませんでした。

チンギス・ハーンとチベット仏教は無関係です。
またフビライ・ハーンが加護したのはダライ・ラマとは別の宗派のチベット仏教です。

ダライ・ラマ1世には宗教的な人望以外はありませんでしたし、ダライ・ラマ3世も政治権力は持っていませんでした。

天皇が大王の時代から権力を持っていたのに比べ、大ラマがどの程度政治権力を持っていたかは定か成りません。

称号が権力に先立つ場合はあまりありませんが、称号と権力が同時に来る場合は良くあります。つまり、支配者がある人物に称号を与えた事によって権力を同時に手に入れるのです。

もちろん、権力が称号に先立つ場合も多い。
秀吉の関白などが良い例でしょう。

称号を持っていたが権力を失う場合もあります。
秀吉の甥などが一つの例でしょう。


モンゴルのハーンがダライ・ラマの名前をある人物に捧げたため、その人物の師匠にも遡って同じ称号を上げたのでしょう。ある人物がダライ・ラマなのに、その人物が自分よりも上だと感じていて尊敬していた、自分の流派の始祖に何の称号もないのはおかしいからだと思います。
その事だけでは、ダライ・ラマ1世が政治権力を持っていた説明にはなりません。



>モンゴル帝国はその財政が傾くほどラマ僧に入れ込みました。それと比べると、その後の王朝のチベット封建制支援は控えめであったとみなすことはできます。

そうでしょうね。
チベットは中国との関係を保って来ましたが、あまりに過酷な農奴制と頻発するような残虐な刑罰とのある社会であり、しかもその推進者がダライ・ラマ政府であったとしたら、人々の人望を失い、人気のない宗教の加護者である事に、モンゴルのハーンも清の皇帝も魅力を感じないでしょうから、もしチベットで政権転覆が起こっても、新しい宗教的指導者を加護する事になるだろうと思います。

これは、清の皇帝が心から仏教徒であった場合でも、単に政治利用しようとしていただけである場合でも当てはまります。

手足を日常的に切られるような国には所属したくはありませんし、そんな事を推進するような宗教に帰依したくはありません。

内外的に力を失います。

  • 2009年08月13日木
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  • シュワの墓所 #-
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>しかし、チベット封建制が言論の自由を認めていたのではありませんから、その存続そのものでは封建制が人民に支持されていたとはみなせない。


認めていなかった、とは断言できません。

ただ、今日のような徹底したものではなかっただろう事は容易に想像できます。

どちらにせよ、あまり酷い体制であれば、数の問題で長続きしなかったであろうと思います。
その意味で、前近代における人権弾圧は、それが少数を多数が抑圧するというものでなければ、放って置けば彼らで勝手に解決してくれる、と安心する事もできます。

短期的には不正や暴力を行う王朝や政府が力を持ったかも知れませんが、長期的にはそれは望めません。

秦の皇帝は恐ろしい人物であったため、秦は出来て間もなく消滅する事になりました。
それなりに人望のあった劉邦が天下を取りました。

江戸時代の日本でも、初期のような庶民締め付けはだんだんと出来なくなりました。

北朝鮮は現代の奇跡です。
もっと実情の調査が必要ですが、やり方次第では政権の転覆も狙えるでしょう。
しかし、人民と軍を有する政府側の戦力差は、やはり問題です。

どんな部族でも、人口が少なく軍が整備されていない、ごく初歩的な集落であるほど、残虐な行為は起きません。そのような事をすれば、人望を失い、数の力で勝てないからです。


>シュワの墓所さんとは異なり、私は兵器の近代化は、ある時期まで、支配体制を軍事的に不安定化させたと考えています。チベット封建制は、兵器の近代化以前であったため、人民の不支持にかかわらず安定した、と私は考えます。

>徳川家康の時代に日本の軍事技術は防水銃の開発に至りましたが、家康はその大量生産と普及を禁じました。槍術や剣術勝負では商人が武士を負かすことはほとんどありえないが、銃での勝負ならほぼ互角になってしまうからです。


秀吉の刀狩りの延長線上で行った事でしょうが、刀狩りと違って、自分サイドの方でも武器の技術を高めなかった事は、江戸幕府の支配を限定的なものにしました。

初期こそ力を持っていた江戸幕府も、だんだんと日本全国を中央集権できるような体制ではなく、諸藩に任せての国家運営となりました。中世のドイツや現在のアメリカと似ているかも知れません。

大きな武器技術開発や、外国からの導入を禁じたため、江戸幕府は数の問題で、諸藩と真っ向から戦う事は難しくなったのだと思います。

民衆と武士との間には、刀や馬などを持っているかどうか、という違いがあり、また兵法術なども武士側は持っていたので、それなりのアドヴァンテージはあったものの、やはり江戸後半では武士が一方的な権力を持つなんて事は望めなくなりました。

恐らく、漫画カムイ伝のように武士が一方的に農民を搾取、虐殺、抑圧していたような社会が本当であったら、あちらこちらで農民発起が起き、江戸時代は数十年でその終わりを迎えていたことだろうと思います。

数の問題で、あまり横暴なことはできず、武士がその階級を保てたにはそれなりの理由があったはずです。

①数が少なく、農民が少しの犠牲を払う事で、彼らを養えた。

②儒教や宗教、朝廷などの力でもって洗脳に成功し、強化していった。

③江戸体制が他の体制、または戦国時代のカオスよりもマシであった。

などが考えられます。



>同じ武士同士でも、槍や剣の技量の差は現代人の想像を超えて大きくなることがあります。例えば、上泉伊勢守とその門弟200人は、3万人の武田軍を相手に互角の戦いを見せ、上泉伊勢守側ではだれも死ななかった


これは驚きです。
このような話は知りませんでした。
武田は何ともセンスがありませんね。

しかしにわかには信じられません。
3万を200が破ったのには、それなりの理由が大挙していないと説明できません。

①上泉側は有利な地形、あるいは城での篭城をしていた。

②武田側で大きな疫病などが流行った。

③武田側の本国で、それどころではない政変や戦乱が起こったため、引き返ざるを得なかった。

④武田側の軍勢は、急場で集めた者達で士気も高くなく、上泉と戦う大儀もなかった。

これらの要因が全て重なったというのでない限り、勝利は難しいでしょう。

もし200の軍団と30000の軍団が、草原などで同じ装備でまともに戦って、30000の軍団に幾らか死傷者が出て引き返して行き、200の方は無傷であったというのならば、神通力でも使ったのかと訝ります。

1人の人間が150人を相手にした事になりますから。

歴史として伝わる中世以前のものは、後世に尾ひれがついたり、嘘であったり、単なる伝説であったりするものが多い。これらを鵜呑みにする事はできません。

もし、過去のものごとを伝えるとして書かれたものが全て真実ならば、

①キリストは死んでも復活し、生前はパンや魚を無限に増やす事ができた。

②モーゼは海を切り裂くことができた。

③天草四郎は水の上を歩く事ができた。

④日蓮は首を切られそうになっても、光るものが現れ、首を切ろうとした武士の刀を三つに割ったため、処刑は失敗した。

⑤アトランティス大陸は実在した。

⑥妖精や巨人族はかつて実在していた。

⑦日本や周辺諸島は高天原の神が垂らす液体によって出来た。

⑧聖徳太子は10人の人間と同時に話せた。

⑨ナチスドイツは、UFOを開発していて、南極に今でも基地がある。


等々・・・といった事柄が全て史実だという事になり、我々の歴史はかなりファンタジーなものになってしまいます。



>宮本武蔵は1人で吉岡門弟50人以上を打ち破っています。


これもなかなか信じられません。
一人ずつ片付けていった、というのならばあり得ますが、いっぺんに、という事になると・・・

例えば、私が刀を持っていて、他の50人が素手であったとしても、私には勝つ自信がありません。
最初の一人を人質にして、それが有効であるならば逃げる事はできますが、ちょっと全てを倒すのは・・・

逆に、相手がオリンピックのフェンシングの選手で、本当のサーベルを持っていたとしても、こちらが50人ならば素手でも勝つ自信はあります。


剣道の有段者であっても、剣道の素人10人に囲まれ、双方刀を持っていたならば、勝つ見込みは薄くなるでしょう。

有段者が一人を切っている間に残りの九人が襲い掛かります。一太刀ぐらい浴びせられるでしょう。

「暴れん坊将軍」の見過ぎではないでしょうか。
私は好きですが。



>槍や剣に十分な強度が実現されてから、強力な長距離射程兵器が開発されるまでの間の支配体制は、一般に長期安定する傾向があります。東ローマ帝国は典型例です。


少し飛躍しすぎな感じがします。
同時代の西ローマは解体しましたし。



>強力な長距離射程兵器がなかった時代には、10倍の兵力があっても、優位性は10倍にはならなかった。矢が尽きてしまえば、戦闘は両勢力が接触している部分に限定されてしまったからです。


これにはある程度納得できます。
と言っても、10倍の勢力は10倍の力があったであろう事は変わりません。
仮に、一人一人が同じ戦力であったとします。
そうなると、一人が相打ちにできるのは一人です。

接近戦しかできなければ(といっても、取り囲む事はできるので、数の多い方は少し有利ですが、ここでは無視します)一人が相打ちにできるのは一人だけなので、1対10の戦いでは、10が勝ちます。

しかし、1の方が小出しに兵員を出して別々の時期に戦うとしたら、10回そのような戦いがあれば、10の方を全滅できます。

初めの戦いで一人、相打ちで殺し、
次の戦いでは1対9になりますが、また一人相打ちで殺し、
次の戦いでは1対8ですが、これも同様に戦い



といった事を10回繰り返す訳です。

双方が相打ちになるために必要な人数はどちらも10人です。


しかし、銃や弓矢があれば、その時に数の多い方が有利になります。

仮に2対4だとします。
そして矢や鉄砲は4発で人は戦闘不能になると仮定します。

少ない方の一人が、多い方の誰かに矢や鉄砲を放った時、彼は4人から攻撃をされます。
これで、少ない方の一人は戦闘不能に陥ります。

一方、多い方は、誰かが2発分のダメージを受けているか、あるいは2人が1発分のダメージを受けているだけです。

少ない方の残った方が、多いほうの誰かに一発の攻撃をしている間に、やはり彼は4発の攻撃をされます。

これで、この戦いでは多い方が勝つことになります。


さて、このような戦いを二回繰り返せば、戦果は同等となるのでしょうか。

いいえ、
仮に、この時の戦いの傷が癒えてなかったとしても、やはり4人の方が有利です。


二人が、四人に攻撃をします。
例えば、四人の内、前の戦いで2発のダメージを食らっていた人物を特定できたとして、彼に向かって二人は一斉に発射したとします。
その結果、四人の方の一人は戦闘不能になります。

同時に、二人の方の一人が四人からの集中攻撃を食らっているために戦闘不能になります。

二人の内、残った方が2発目を、3人の誰かに対して放つとき、彼は3発を食らう事になります。

一方、三人の方は、誰かが1発食らったに過ぎません。

少数の内、残った一人が3発目を、3人の内の誰かに食らわす時、彼は三人から3発の弓か弾を食らいます。

結局、2回目の戦いでも、勝ったのは四人の方で、3人がまだ立っています。


マスケット銃兵は、大量編制にした方が良い。


飛び道具の出てくるようになると、数が大きな力を持ちます。


ただし、これは双方が飛び道具を持っていた場合の話しになります。

近代になり、技術が上がれば、産業体制を所有している方が圧倒的に有利になります。

戦闘機一機のミサイル攻撃で、数百の歩兵を倒せるでしょう。この場合、1対100、1対1000も不可能ではなくなります。

もちろん、その戦闘機を作るには1000では済まない多くのバックが要る訳ですが。

  • 2009年08月13日木
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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10倍の兵ならば10倍強の力があるのは、近接戦の場合だと思います。

一方、弓矢や鉄砲があるとなれば、10倍の兵ならば2~30倍の兵力があるように思います。

ところで、これはどちらも同じ兵力を持っていた場合の話ですが、技術や資源に歴然たる違いがある場合はこの限りではありません。

アメリカ軍は僅かな犠牲でイラク軍に打ち勝ちました。


しかし、占領するに当たっては、銃器と爆弾ではあまり戦力に差はないため、多くの犠牲を出しました。
イラク人の数が多いからです。


数の問題は、かなり大きな問題です。
ヤン提督は少ない兵力で、何倍もある敵軍を打ち破りましたが、それがあまりに稀な事なので有名になりました。

覚醒したNew Typeでさえ、新兵器に乗って、旧兵器16機を沈めるのが、知られている中で最高です。

体のスペック差にそこまで差がなかったと思われる武蔵が、同程度の体格の50人を倒したというのは・・・


さて、話をチベットに戻しましょう。
仮に、武士が鍛錬を積んだ場合、1対10くらいの戦いができるようになっていたという条件を組み込んでも、チベットの場合、統治しているのはすべて僧侶です。

僧侶達が10倍もいる農民たちに勝てるでしょうか?
タントラとはそこまで強力なものだったのでしょうか。

そういえば、チベット亡命政府にも多くの人々が付き従ったといいますが、彼らは全て僧階級だったのでしょうか? 農民も多くいたはずです。
なぜならば、彼らの殆どが僧であるならば、彼らの生活を誰が支えているのかが説明できなくなります。

それら農民は、もしダライ体制が過酷なものであったら、どうして越境などをして故郷を離れたのでしょうか。仮に、中国の支配をもっと悪く想像していたとしても、後にダライの生活を支えるよりも中国の支配の方が良いと感じるのならば、彼らは故郷へ戻って行くのではないでしょうか。

中国から亡命政府のもとに危険な越境をしてまで出かける人々の話は聞きますが、その逆は聞きません。

  • 2009年08月13日木
  • URL
  • シュワの墓所 #-
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しばらくぶりに見たら議論が深化、かつ拡がってますねえ。

私はといえば情けないことに盆休みのバーベキューを楽しみつつ、迫るITILファンデーション資格対策の心配ばかりしていました。

議論を拝見してて私もなにかうまいこといえたらなあと思うんですが。。


最終的には「可能性」というものを事実を証するであろう資料によって真実が確定するものでしょうが、たとえば歴史が「歴史観」とか「歴史学」の諸分野、研究者の方向性においてどのような「歴史的事実」も常に喧々諤々の議論が続くように、「社会」「政治」「経済」も話者、観察者のさまざまな意見により、唯一であるべき事実に齟齬や矛盾ばかり目に付きます。

私はそういったことに対しての感傷が強いがうえに資料(または史料)という情報を選択的に抽出するよりも、意見や情報の渦の中で自分自身の感性を正直・素直にさせておくのを好むのだなあと思いました。

それがたとえ本物の事実から目を背けているにしても、現状としての立場上(時間がない、気力がない、能力がない等々の言い訳的立場)、そうせざるをえないとも自覚するのです。

いずれちゃんと根拠と論理をそろえてでしゃばりたいものです。

  • 2009年08月17日月
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  • 宇宙の眼から横槍 #-
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