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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

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語学 ― 名詞の性


森(無性), forêt(女性), Wald(男性)
太陽(無性), soleil(男性), Sonne(女性)

日本語の名詞に性はありませんが、フランス語やドイツ語の名詞には性があります。

名詞の性については最初から明確なもの ― 例えば、「女性」を意味する「femme」と「Frau」はいずれも女性名詞です ― 以外については、語形による若干のものを除くと、規則性に乏しいといわれています。複数の言語を横断する共通概念もありません。

「森」と「太陽」については、フランス語とドイツ語で性が逆転しています。

しかし、極めて古い時代には、名詞の性は男性, 中性, 女性に分かれていたのではなく、動的, 静的に分かれていたらしいのです。名詞の中で、言語の使用者にとって、勢いがあるものされたのがやがては男性名詞になり、静かなものがやがては女性名詞になりました。

落葉で光がよく通るようになるフランスの森は女性名詞で表わされ、常緑針葉樹の多いドイツの森は男性名詞で表わされるようになった、夏にはぎらぎらと照りつけるフランスの太陽は男性名詞になったが、ドイツの太陽にはそこまでの勢いがなく、女性名詞になった ― などと考えると、一応理屈は通ります。

ところで、「花」を意味するフランス語の「fleur」もドイツ語の「Blume」も女性名詞ですが、イタリア語の「fiore」は男性名詞です。イタリアの花は可憐ではなく豪華だったのでしょうね。

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思想の中核と辺縁 ― イデオロギーと教職員の組合 ― III


日本教職員組合(日教組)のイデオロギー探しをしてみたが、学校に権限拡大要求くらいしか見つからない。意外に、日教組にイデオロギー色は薄い。

次は、全日本教職員連盟(全日教連)を見てみよう。

http://www.ntfj.net/j/opinion/kyouikukihonhou.phpから引用:

1 はじめに

全日教連は「美しい日本人の心の育成」を基本理念として、教育専門職として次代を担う子供たちのために全力で教育実践に励んできた。

2 内容について

(1)「国を愛する心」について

 教育目標の中に「我が国と郷土を愛する心」が明記されたことは評価できる。

「国を愛する心」は世界中の全ての人が共通に持つ大切な価値観の一つであると考える。

まず最初に学力を論じないところは、日教組と似たところもある。日教組が国際的な人権意識を重視しているのに対し、全日教連の考えは明らかに偏向している。「「国を愛する心」は世界中の全ての人が共通に持つ大切な価値観の一つである」は肯定的にも否定的にも証明されていない。日本国憲法では、思想信条の自由を認めているのだから、国を愛するかどうかも各人の自由なのだ。「と考える」はある種の逃げ道だろう。こういうところはさすがに用心深い。

しかし、偏向しているだけでは、イデオロギーとまではいえない。政治的主張も、社会闘争性も、この部分には明記されていない。

学力調査については、全日教連の態度は日教組のそれとほとんど変わらない。子供の学力を重視する親ならば、全日教連でも日教組でも、いずれを支持してもほとんど同じだ。

http://www.ntfj.net/j/opinion/kyouinmenkyo.phpから引用:

教育は子供の一生を左右する営みであり、その意味において教員は極めて重要な役割を担っている。この自覚のもと、「教員としての必要な資質能力は、本来的に時代の進展に応じて更新が図られるべき性格を有している」との基本的な考え方を示したことを評価する。教員免許状に一定の有効期限を付し、その時々で求められる教員として必要な資質能力が確実に保持されるように必要な刷新を行うことは、教育に対する国民の期待に応えることになると考える。

教員免許更新制を主張しているのが、全日教連の最大の特徴だろう。

参議院で野党が大勝した時にも、自民党の麻生総理への支持率が極端に低かった時にも、全日教連は教員免許更新制に賛同する主張を引っ込めてはいないのだから、現段階で、この部分は政治的主張にはならない。

基本理念がいささか偏向していても、全体として、全日教連はそれほど極端な考え方を持つ団体ではなさそうだ。

思想の中核と辺縁 ― イデオロギーと教職員の組合 ― II


参照: http://reviva.blog1.fc2.com/blog-entry-1325.html

まずは、日本教職員組合(日教組)の考えを読んでみることにします。

政策制度要求と提言には政治的主張が展開されていますから、イデオロギーの追加限定(1)を満たしています。

提言は数が多いので、とりあえず、政府への提言に絞りましょう。

http://www.jtu-net.or.jp/proposal_04.htmlから引用します:

1. 憲法の理念を生かし子どもの権利条約の具現化をめざした、子どもを主体とする教育改革をすすめること。

2. 世界人権宣言の精神を踏まえ、教育の力によって、平和と人類の福祉に貢献する国際的努力を推進すること。

3. 国や自治体は、地方分権と住民参加をすすめ、子どもたちが安心して学ぶことのできる教育環境、教育の機会均等を確保するための教育条件を整備すること。

4. 08年に提出された政府報告書に対して予定される審査を広く公開し、勧告・提案に対する解決策を講ずること。

5. 子ども省(仮称)を設置し、総合的に子どもたちのことを考えるシステムを構築するなど、学校教育・社会教育等あらゆる場面への子ども参画を推進すること。


1は子どもの権利条約をよりどころとしていますから、偏向はしていない。2は日本国憲法でも謳われている理想と重なるので、偏向はしていない。3は子どもの権利条約とも日本国憲法とも関係がないが、いずれにも反していないため、はやり偏向していない。4は国民の知る権利の行使の機会を要求していますから、偏向していない。5の「子ども参画」も偏向していない。この個所にイデオロギーはないようです。


http://www.jtu-net.or.jp/proposal_04.htmlから引用します:

1. 一人ひとりの子どもの実態に即し、関心に応える授業づくりを地域・保護者・教職員が力を合わせてつくりあげるとりくみができるよう30人以下学級の実現や教職員定数増などの条件整備を積極的にすすめること。

2. 子どもたちが主体的な学習にとりくめる教育が円滑になされる策を講じること。そのため学校の裁量権を拡大し、子どもたちが参画できるために条件整備をすすめること。


1は教職員の他の組合からも反対されていないと思います。2の「学校の裁量権」は多分に政治的です。日本国憲法では「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」としていて、学校の裁量権が大きくなれば、各児童の教育を受ける権利は「ひとしく」から遠ざかってしまいます。これは偏向している可能性が高い。

現実の国民生活は、児童の教育という面でも、実は「ひとしく」からは程遠い。しかし、「ひとしく」を目指す責務はそれぞれの国民や教師に課せられていると思います。

もちろん、裁量権要求は社会闘争的です。

思想の中核と辺縁 ― イデオロギーと教職員の組合 ― I


「イデオロギー」の定義を調べてみます。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%80%9D%E6%83%B3&dtype=0&stype=0&dname=0na&ref=1&index=01339701080800

イデオロギー【(ドイツ)Ideologie】

1 政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。

2 一般に、思想傾向。特に、政治・社会思想。

全日本教職員組合(全教)、日本教職員組合(日教組)、全日本教職員連盟(全日教連)のいずれにもイデオロギーがあります。

社会はイデオロギーなしには成り立ちません。天皇も憲法も民主主義もイデオロギーの産物です。

社会的な意味で教職員の組合について考えるために、「イデオロギー」をさらに限定してみましょう。

ここでのイデオロギーは、辞書による定義に加えて、次のような限定を含むものとします:
(1) 政治的主張を含んでいる
(2) 偏向した先入観を含んでいる
(3) 社会闘争的である。

論点を明確にするためには、ここでさらに「政治的」と「偏向した」をきっちりと定義しなければならないように感じます。

教職員の組合について考えているのですから、「政治的」とは、「選挙において、各教職員の投票行動に影響を与えうる」としましょう。教育予算の拡大はどの教職員にとっても利益になりますから政治的ではなく、君が代斉唱への賛成や反対は政治的です。

ある考え方が「偏向した」ものかどうかは、何かと比べて判断する必要のあることです。日本において60年を超えて国民全体の合意になっている日本国憲法は1つの判断基準になります。また、日本国憲法はあらかじめ国際協調主義を掲げていますから、教育に関連して国連を介して成立した国際合意も判断基準になります。憲法や国際合意に反する考え方は、当然、偏向した先入観であると判定されます。憲法や国際合意によって触れられていない案件について考え方は、それを判断する基準がないので、偏向していないものとします。

(つづく)

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