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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

諦観年齢

やや押したが、底堅い。

集計日 諦観年齢
2008.04.0530.94
2008.03.2931.21
2008.03.2230.71
2008.03.1530.08
2008.03.0830.27
2008.03.0130.74
諦観年齢

平均的な日本人が「あの頃までの自分は輝いていた」と感じるときの、その"あ頃"の年齢の推定値。高ければ高いほど、社会はそれだけ楽観的であることを示す。

edit

資本主義と強い唯物論に疲れちゃった我々

まあ、まず乱暴に前提を提示することにする。我々は資本主義と強い唯物論にかなり疲れていて、「スピリチュアル」なもの ― その大部分は、弱い唯物論なんだが ― に嵌りやすくなっている。

特攻隊も、オウム事件も、日本人にとって決定的な教訓にならなかった。

細木和子のヤクザ風スピリチュアルが一世を風靡し、その後、社会状況が厳しさを増したら、今度は江原啓介と美輪明宏のオカマ風スピリチュアルが人気を集めている。スピリチュアルな説教屋がここまでテレビで稼げた時代があっただろうか?

アメリカのブッシュ大統領すら、スピリチュアルなキリスト教原理主義に嵌ってる。彼もまた、疲れちゃった人なんだよ。

そして、スピリチュアルブームの陰で、見過ごされる問題もある。

イスラム圏ではまだまだ女子に対する割礼(女性器をがさっと数センチも抉る残酷なもの)が行われたり、恋をした罪で少女が家族に焼き殺されたりするような地方もあり、1990年代までは人権擁護運動でこのような問題への対処が熱心に試行されていたが、今では少なくとも日本社会でこのような問題への左派(自由主義的社会主義勢力)の批判精神は減退してしまっている。イスラム教もスピリチュアルだからね。

チベット問題ではもちろん、中国に弾圧されている人々の人権を擁護するための努力は必要不可欠だ。しかし、スピリチュアルな亡命チベット政府に肩入れするのはまずい。(この亡命チベット政府に寄付でもした人がいるんじゃないかな? なんせ、これを書いている私もそうしたことがあるくらいだから。他人事じゃなくて、私も疲れてる。)

スピリチュアルな人が善人だとは限らない。

疲れちゃってる我々は、「スピリチュアル」なものに対して本来は当然である疑念を意識的に自らの内部に喚起しなくては、善悪や利害についての判断を大きく間違えてしまうことがある。

ところで、童話とか、東西の神話とか、『ロード・オブ・ザ・リング』とか、組織的な信仰に頼らずとも長く愛されてきたファンタジーものは、スピリチュアルなものの魅力と危うさをそろえて教えてくれる。邪悪な魔法使いが登場するのを忘れちゃいけない。

チベット案件 ― ダライ・ラマ

(転生を信じようと信じるまいと、ダライ・ラマを語る上で、転生のことは避けて通れません……なぜならば、)

ダライ・ラマ自らが、転生を世俗の政治のおいても、権威と権力の源としているからです。ダライ・ラマ5世と14世が同一人物であるという主張の科学的(あるいは、超科学的)証明の成否にかかわらず、14世自らが5世と同一性を政治的に主張したからには、5世までのダライ・ラマが作った農奴制を何とかする責務を自ら引き受けていたことになります。

また、逆に考えると、チベットがイギリスや中国の支配に屈してきたことには、チャールズ・ベルやシモーヌ・ボーヴォワールの手記などによって、農奴制の実態が外国にも知られるようになったことが影響しているとも考えられます。イギリスや中国はチベットを実効支配することを正当化できる理屈を容易に作り出すことができたのです。(これは、クウェートに侵攻したり、クルド人を虐殺したフセインが独裁的に支配するイラクを攻撃する理由を、アメリカが容易に作り出すことができたのと同じです。)

外国の政府も非政府機関もその他あらゆる任意団体も、中国政府と亡命チベット政府のいずれに対しても、政治的に肩入れすべきではない、と私は考えます。