ここしばらく右派論説が席巻するが如しだった『文藝春秋』を立ち読みしてみたら、『国家の品格』を書いた藤原正彦が、極めて歯切れの悪い言い回しではあるものの、格差社会への懸念を表明していた。その他の論説も、自由主義や個人主義と不自然に結託したころの右派とはかなり違っていて驚いた。
ここ10年の右派は深刻な自己矛盾を内包していたので、長続きするはずもなかった。
個人の生活を政府が手厚く支える「大きな調整」型の左派に対抗意識があった右派は、政治がおおむねインシデンタルであることの典型的な例として、「小さな調整」型をインシデンタルに選んでしまっていたた。(「小さな政府」と「大きな調整」は両立可能なので、ここでは、「政府」ではなく「調整」とした。)
しかし、「愛国心」と「小さな調整」は深刻に矛盾している。困難な状況にある個人に対して、体制側の答えが「個人の自助努力と自己責任」であるのならば、個人の側での「愛国心」も希薄になる。
要するに、小泉と安部が唱えていたことは、全然フェアじゃなかったし、国民はそのことに気が付いているし、右派もそのことを無視できなくなってきた、ってこと。