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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

投資理論 ― 100万円からのアウトサイドテクニカル分析投資


行動後に不定期更新という方針でやっていく。−×

2007.04.27

銘柄 コード 買い
日付
株数 約定値 現在値 値洗い
プリヴェ企業投資
ホールディングス
 6720 07.04.27  700 105 106 +700
日本LCA 4798 07.04.20 300 246 185 −18,300
ユニオン
ホールディングス
7736 07.04.17 600 161 179 +10,800
資金額 745,750 


投資理論 ― 100万円からのアウトサイドテクニカル分析投資


行動後に不定期更新という方針でやっていく。−×

2007.04.20

銘柄 コード 買い
日付
株数 約定値 現在値 値洗い
日本LCA 4798 07.04.20 300 246 192 −16,200
ユニオン
ホールディングス
7736 07.04.17 600 161 172 +6,600
資金額 828,700 


投資理論 ― 100万円からのアウトサイドテクニカル分析投資


行動後に不定期更新という方針でやっていく。−×

2007.04.17

銘柄 コード 買い
日付
枚数 約定値 現在値 値洗い
ユニオン
ホールディングス
7736 07.04.17 600 161 163 +1,200
資金額 902,950 


音楽 ― プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』


基音とその倍音だけでできている音を楽音という。理論数学的な純粋さを要求水準にすれば、完全な楽音というものはありえない。現実的な意味では、歌声、管楽器、弦楽器の音は楽音といっていい。

一方、打楽器の音はさまざまな音が混じりあっていて、もっと複雑だ。打楽器には五線譜の上に音の高さを表すのが難しい楽器が多い。こういう音を噪音という。(騒音、ではないので注意。)

噪音は非常に厚い和音と同じようにバランスに貢献するので、噪音を多く取り入れることで、音楽は面倒な進行のルールから全面的に解放される。ドラムのおかげで、ピアノやベースなどの楽音楽器をより自由に使えるようになる。

『ハートブレイク・ホテル』はもちろんどこかで聴いたころのある曲だったが、今回はちゃんと聴いてみた。

静かだ……現在のロックと聴き比べると、とにかく静かなことが目立つ。

コード進行が薄い。全体の音量が小さいところでは、ヴォーカルとベースだけが鳴っている個所も多い。ヴォーカルの魅力を生かすために、対位法的な束縛が厳しい展開を、編曲者はあえて選んでいるようだ。

ドラムの音もつぶやくようで、主張しすぎない。しかし、ヴォーカルは重要だ。特に音量が大きくなるところでピアノと一緒に鳴り、ドラムはヴォーカルとピアノを爆発的に解放にする。

『ハートブレイク・ホテル』の約2分間の比較的静かな演奏の中に、束縛と解放が目まぐるしく交差しながら展開する。この2分間はロックの縮図であり、人類の歴史の縮図でもある。

投資理論 ― 100万円からのアウトサイドテクニカル分析投資


これは検証なので、実際にはこの通りに私が売買するのではない。

「アウトサイド分析」はデイヴィッド・ドレマンの『逆張り投資戦略 ― 新世代』(日本語仮題)の中に現れる表現で、銘柄の内部事情よりも市場内のおけるその銘柄の価格や企業業績の相対的位置を分析するものだが、同じことをテクニカルでやってみることを思いついた。

戦略の概要:

  • 100万円から始める
  • 各銘柄に最大で資金の1/10を割り当てる
  • 最大10の銘柄に分散する
  • 狙うは東証上場銘柄のみ
  • 東証で1部、2部、マザーズの順に候補を探す
  • 出来高の大きい銘柄から順に候補を探す
  • 約半年間で見て、候補リスト銘柄のの70%以上が下げている時に、買い時を探る
  • 流動資産が流動負債より小さな銘柄を見送る
  • ハードストップとハードリミットでリスクとリターンを管理し、どちらも資金の1/10相当とする

仮想売買が成立した後に結果を報告することになる。

音楽 ― ブラームスの弦楽六重奏曲op18のピアノ編曲版


まず最初に、和声学の話をしよう。

和声学を学ぶ時には、四声体というもので課題を解いていくことになる。四声体はソプラノ、アルト、テノール、バスという4つの声部でできていて、四声で和音を作り、つなげていく方法論が、まあ、和声学のほぼ全てといっていい。

四声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。代表例は、五度(ドとその上のソやレとその上のラ)とか、八度(1オクターブ)の平行進行はいけない。

ところが現実のピアノ曲、それもクラッシック音楽の歴史に燦然の輝く作曲家の作品には、五度や八度の平行進行がバシバシ出てくる。そして、音楽教師たちはしばしば「ここはオクターブを1つの声部と見なす」とかわけわからん説明をするので、しばしば生徒たちに大きな誤解 ― 「和声学って、実際の作曲には意味がない」という思い込み ― を生む。

しかし、和声学の実践の前提をもう一度見直してみよう。

四声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

和音を構成する音の数が4つしかないと、バランスが崩れやすく、進行には厳格な禁則があるが、音の数が増えてきたら、禁則はある程度無視できる。そして、その無視の程度に作曲家の個性のかなりの部分が現れる。

シューマンの『飛翔』では、四声体での禁則を外れている部分では、必ず声部が増え、和音が厚くなっている。一見薄そうな部分でも、後打ちでちゃんと十分な厚みが確保されている。

しかし、そのシューマンの妻に横恋慕していた ― らしい ― ブラームスの作品には、とても大胆な感覚を示しているものが結構あって、弦楽六重奏曲op18のピアノ編曲版はその顕著な例の1つだ。

 第39小節には、部分的に分散された、8つの音で構成された和音が連結されているが、八度の並行が4つ、五度の並行が1つ、同時に発生している。当時としては冒険だったはず。

第81節から数小節分には、純然たる四声体であるにもかかわらず、八度の並行が発生し、和声学の禁則はどういい繕いようもなく破られている。

禁則についての感覚においては、若き日々のブラームスって、ドビュッシーに似た感覚を持っていたんだよ。

(いや、あるいは、「禁断の恋」の暗示か?)

クラス論 ― クシャトリアあるいは武人、そして戦争と平和


料亭で火付盗賊改方の長、長谷川平蔵が女中の手首をつかむと、女中は腕の力で平蔵の親指を圧迫して逃れ、返した掌で平蔵の手を押し戻す。女中が去った後、平蔵は「あの女、武家の出か···」とつぶやく ― 時代劇『鬼平犯科帳』の一場面だ。

クラスを特徴付けるものに、そのクラス独特の技能体系がある。

江戸時代の日本のクシャトリア、つまり、武士クラスには、武芸はもちろんのこと、人望獲得法として役立つ儒教ベースの道徳も備わっていた。戦闘員としてだけではなく、一般公務員としても、武士クラスは優れた適性を示した。

武士の頂点である将軍の地位に就き、次男秀忠に将軍職を譲った後も、「大御所」のタイトルで実権を掌握し続け、公家諸法度で貴族たちをも支配した家康は、軍事技術開発を凍結した。雨天を気にせず使用できる銃を世界で最初に開発したのは日本人だったが、太平の世に家康はそれ以上の軍事技術を求めなかった。

社会で藩などの縦割り秩序が目立っているかぎり、大乱再発の懸念は拭えない。太平の世が長く続くためには、横割り秩序も必要だった。武士の武芸が役に立ち、武士クラスが長く維持されるためには、武芸の有効性を脅かすような高性能の銃を、社会に存在させてはならなかった。

最も間違っている平和ですら、最も正しい戦争よりもなお幸いである、という立場を取れば、身分制度に起因する様々な悲惨さを内包しつつも安定していた江戸時代は正しかった

明治憲法下の体制の大きな問題点は、強制徴兵制によって身分制度を急激に破壊したことにある。武士は刀を没収され、農民や町人は元々武士の権利であり義務であった戦闘およびそのための訓練を押し付けられてしまった。

江戸時代に教育を受けた人々の寿命が尽き、クラスの知恵と技能から切り離された社会の混乱の中で育った人々が社会の中間管理以上の指導的な地位につくようになると、日本は軍国主義の暗黒の時代に突入した。

敗戦後、日本国憲法の施行により、日本のクラスの再生が始まった。警察予備隊や自衛隊の隊員たちは江戸時代の武家の血筋の人々ばかりではなかったが、彼らが隊員であるという事実は彼ら自身の決断によるものであり、体制の強権の産物ではなかった。また、自衛隊だけではなく地方や中央の公務員たちも安定したクラスとして、江戸時代の武士クラスに相当する機能を果たすようになった。

かつては自衛隊の機関紙であり、民営化された今でも多くの自衛隊員に読まれている『朝雲』の2006年7月20日の寸評に、次のようなことが書かれていた:

「義理がすたればこの世は闇」というが、理性が沈黙すれば世界が闇となる。

理性の声は明白だ。ミサイルによって利益は受られない、テロが勝利することはない、そして、テロに「戦争」をもってこたえるだけではテロはなくせない。

『朝雲』の別の寸評には次のような文章もあった:

韓国の調査船「ヘヤン」2500トンに対して、海上保安庁は3000トンの巡視船「大山」を出して牽制する。

韓国海洋警察は、4月のように多数の警備艦を派遣せず、1~2隻の警備艦を随伴させると見られている。

日韓のコースト・ガードは、互いに事態を紛糾させないよう細心の注意を払おうとしている。どちらも力づくの紛争にはしたくないのだ。

実力組織は「政治の道具」でありつつも、政治の行き過ぎに巻き込まれまいとする。

片や政治家は海を挟んで声高に相手を非難し、現場はリスクを背負って苦労する。

“勇ましい政治”が紛争の解決に役立たないことは歴史が教えている。

「自衛隊は日本最大の反戦団体だ」というのは自衛隊内のジョークだが、自衛隊の実態からかけ離れてはいない。クラス ― あるいは擬似的なクラス ― として自衛隊が安定し続ければ、日本は最悪の事態を免れる。

今の自民党政権が行なっている愛国心教育やこれから行なおうとするかもしれない憲法改変で国民に押し付けられることになる「国防の責務」の問題は、個人の思想信条の自由の侵害でありえると共に、クシャトリアクラスやその他のクラスを過度に不安定なものにする危険性を孕んでいる点にある。

クラス論 ― 序


サルカールによれば、時代を牽引する大クラスは時と共に入れ替わり、一般に、クシャトリア(武人) → ヴィプラ(学者) → ヴァイシャ(商人) → スードラ(大衆) →···というスパイラルを作る。大衆時代の次には武人時代が来て、新しいターンが始まり、スパイラルが続く。

日本の場合には、日本の場合、(応仁の乱)→ 武人時代 ―(江戸幕府成立)→ 学者時代 ―(武士没落)→ 商人時代 ―(明治維新)→ 大衆時代 ―(軍国主義台頭)→ 武人時代 ―(敗戦)→ 学者時代 ―(戦後復興)→ 商人時代 ―(バブル崩壊)→ 大衆時代という変遷を辿り、再び武人時代に突入しつつある。

安部晋三のようなタカ派政治家が首相になったのも、時代の空気の実体化だ。

さて、戦争や紛争の責任を武人クラスにのみ押し付けるのは適切ではない。

学者は大きな破壊力を持つ兵器を開発するし、商人は軍需産業で儲けるし、大衆は戦争を支持し、時には体制に対してあまりに自虐的になり、戦場で命を捨てることもある。

サルカールはスパイラルの形成を必然としているが、私はあえてスパイラルの各ターンを縮小することや、スパイラルを停止させることを考えてみたい。

16世紀には93年間、17世紀には97年間、ヨーロッパでは戦争が起こっていた。第1次世界大戦、第2次世界大戦は、兵器の破壊力の増大で、深い爪跡を人類しに残したが、18世紀からの戦争頻度は減少傾向に変わりはない。

そして戦争頻度の減少傾向とスパイラルのターンの縮小または停止に相関関係が見られる。

人々がクラスを理解することで、戦争を回避できる可能性があるのだ。

音楽 ― Oui, oui, oui, mon cher ...


フランス語なんだが……

Si je pouvais faire ceci, si je pouvais faire cela,

Ce rêve-ci, ce rêve-la, il y a beaucoup de rêves.

Tous ces rêves, tous ces rêves, il fera tous possible.

Avec sa pochette marveleuse, il les fera venir vrai.

Je veux voler librement, librement au ciel.

Voici le takékopteur!

Oui, oui, oui, mon cher Doraëmon, Doraëmon.

こいつを『ドラえもんの歌』のメロディーで、口を心持ち縦に開く感じで歌ってみよう。ただし、「Doraëmon」の「n」ではなくて、「ë」を引き延ばす。

声色と語学力と歌唱力次第だが、きっちりオペラに聞こえることもある。

『ドラえもんの歌』はロマン派初期のオペラに似ているのだ。