search this site:

Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

語学 ― 日本語と二重主語構文


1) 彼女は美しい目が自慢だ。

(1)は二重主語構文の例だ。単一主語構文に変換すると、(2)のようになる。

2) 彼女は美しい目を自慢している。

3) 僕は数学は好きだが、英語はそうでもない。

(3)も二重主語構文だ。単一主語構文に変換すると、(4)のようになる。

4) 僕は数学を好むが、英語を好まない。

現在の日本語には形容動詞「好きだ」を形容代動詞「そうだ」で代替できるが、動詞「好む」の代替となる代動詞が存在しない。だから、二重主語構文を使った方が、冗長性を省ける場合がある。

性別による役割分担とアニメでの表現


子供は生きている社会での価値観で社会化され、それらの価値観に馴染まないかぎり、子供は社会の真の構成員と認められない。

教育は学校教育に限定されない。子供や ― そして大人も ― 見るアニメ作品も、子供たちが生きる社会の価値間を反映しているのであり、子供の社会化に影響を与える教育だ。そして、1970年代頃まで、日本のアニメ作品には保守的な男女関係が描かれていた。

1973年に世に出た『キューティーハニー』は闘う女性が主人公とした、日本発のアニメ作品だが、社会における役割を男性と比較していないので、本論にとって重要ではない。

1974年に、主に男児を視聴者として想定した、『宇宙戦艦ヤマト』が放映された。宇宙から侵略す強大なガミラス帝国、核爆弾で放射能汚染された地球、そして、地球を救うためにガミラス帝国と戦う宇宙戦艦大和 ― この構図は、太平洋戦争中のアメリカと日本の関係を、日本の側から一方的に見た構図に似ている。男たちが前線で戦い、女に大した役周りはない。女はせいぜい、男の恋人であったり、負傷者の手当てをする看護士くらいだ。この作品で前線に一番近いところにいる女は森ユキで、彼女は看護士だ。

1979年には、『キャンディ♥キャンディ』がテレビ放映され、空前の当たりとなる。この作品での女たちは物語の中心にいるため、かなり生き生きと描かれてはいるものの、主人公たるキャンディも自らの人生の展開と幸福の追及で大きく男に依存している。奇しくも、キャンディもまた看護士だ。

アニメ作品は子供に性別ごとの役割モデルを提供していた。アニメ作品は学校教育よりずっと保守的だった。

1984年の『風の谷のナウシカ』は画期的な作品だった。闘う男たちが何人もいる中で、少女ナウシカは前線で男以上の立ち回りを見せ、彼女の行動が人類を救う。環境問題の解決に加えて、男女同権に向けて前進する社会の気運が、この作品には色濃く反映されている。

これ以降、闘う女性を描くことに躊躇しないのが、日本のアニメ作品の1つの特長になった。

それから20年余りが経過し、今年の『涼宮ハルヒの憂鬱』で、女性はついに神にさえなった。

日本の神話では、タカマガハラの統治権が女神イザナミから女神アマテラスに継承されたことが描かれている。女性たちが強かった古代の日本に、今の日本の社会は近づこうとしているのかもしれない。

edit

全体の安定とアラインメント ― ネットウヨとネットトレーダー


参照: http://reviva.blog1.fc2.com/blog-entry-293.html //

「左翼」と「右翼」はそれぞれの国や地域で意味することがまったく違う。フランスではもともと「左翼」はブルジョワ革命と自由民主主義の理念を信奉 する人々のことであったが、日本では共産主義者を指して使われることが多い。また、「右翼」は既存体制の一貫した支持者のことだったが、ロシアではがちが ちの共産主義者、日本では黒塗り街宣車を走らせて騒いでいる人々のことで、街宣右翼の大部分は在日朝鮮系の人々である。

混乱を避けるために、インターネット上で体制主義的あるいは民族主義的な持論を展開している日本人たちを、ここでは「ネット右翼」ではなく「ネットウヨ」と呼ぶことにする。

株式市場や通貨市場で、短期、時には分単位の極短期で資金を裁量売買している人々は、もはや投資家ではなく、むしろ投機家なのだが、インターネットを介した売買で培われる、市場に対する淡々とした姿勢、大口の心理分析よりも直観的な反応を生かした手法などで、旧来の投機家ともまたまったく違う。彼らの中で成功者には、ビデオゲームを楽しんで育った人が多い。

この新しい投機家をここでは「ネットトレーダー」と呼ぶ。

クラスとアラインメントは1対1の関係にはないが、ネットウヨというクラスはおおむねLNであり、ネットトレーダーの大部分はCNである。ネットウ ヨはある点で他者へ貢献しつつも、別の点で他者の権利の縮小と義務の拡大と唱えている。ネットトレーダーは自己の利益を追求するが、ルールを逸脱しようと はしないし、覚悟の出来ていない者とは勝負しない。

ここでフランス革命を思い起こしてみよう。ロベスピエールは旧体制を否定し、新しい体制を作ろうとしていた。ロベスピエールはLAであり、数多くの 革命派LNに担ぎ上げられていた。彼らが数多くのANを動員することに成功したことが、反革命派LNを敗北させ、フランス革命を実現させた。

日本の明治維新も同じで、幕府を倒したのは新たなるLNを主体とする勢力であり、彼らは江戸幕府よりもさらに強力に国民を ― 主に戦争に ― 動員する仕組みをつくりあげた。天皇制は革命王朝であり、東京招魂社は革命神社であった。

革命や変革を主導するのは決してChaoticsではない。革命的勢力は常に、新たなるLawfulsを中心とするものなのだ。

今の日本では、憲法改変の気運の高まりの中で、革命的勢力は主に革命的LNで構成され、その中でもネットウヨは特に活性化している。そしてネットウ ヨに担ぎ上げられるのは、『国家の品格』の藤原や『国民の思想』の八木のような、「愛国心」を唱えるおっさんたちだ。実際、『国家の品格』は200万部も 売れた。

反革命的なLNを代表しているのは、自民党内護憲派、公明党内護憲派、民主党内護憲派、社民党、共産党などだが、いずれも力が弱い。反革命的勢力は 自らの代表を支持するだけでは、戦いを有利に進めることなどできない。ゆえに、革命的勢力に複雑な分断工作を仕掛けることになる。既に、自民党に安部包囲 網が作られつつある。

こういう状況では、国政がわかりにくくなる。国政選挙でも、各地域の身近な話題についての細部までの理解を端的に示せる ― あるいは、匂わせる ― ことが重要性を増す。千葉の衆院補選は自民党の落下傘候補が破れた。また、滋賀県の知事選挙で、自民、公明、民主の与野党相乗り候補に対し、社民党が推す 候補が勝利を収めたことも、次の参院選の傾向を暗示している。

国内でのネットウヨの活躍に比べると、ネットトレーダーなどのCNは、体制とその変革に対し、一見無力だ。ネットトレーダーはネットウヨよりも遥か に数が少ない上に、ネットトレーダーにとって革命的LNは政治的に不利益で、反革命的LNは経済的に不利益であるため、どちらか一方に加担することは難し い。

しかし、ネットトレーダーの存在は、個人に対する国家体制の動員力を確実に弱めていく。良好なインターネット接続環境があれば、ネットトレーダーは どこでも同じように仕事ができる。ゆえに、成功したネットトレーダーはどの体制に税金を支払うか、つまり、どの体制からサービスを買うか、自由に決めるこ とができる。

By Leoneed, also known as Lexar

知識人の大転び ― インドについて語る藤原正彦


藤原正彦の『国家の品格』に、インドでの教育の話が出てくる。

インドでは数学教育に熱心で、それゆえソフトウェア産業が発達している、という主張を、早期の英語教育に対する批判の文脈に挿入したものだ。

この論法の強引さは学術経験者らしからぬ。

確かにインドでは数学教育に熱心だが、英語教育にも熱心だし、社会には複数の言語が飛び交う。

数学に加えて、英語もまた、インドのソフトウェア産業に貢献しているに違いない。

アルゴリズムの理解には数学が必要だが、大規模なプログラムの作成には、オブジェクト指向やアスペクト指向など、語学的な能力も試される要素がある。

また、アメリカからの受注には、英語で書かれた仕様書を読み解く英語力は不可欠だ。

数学教育も必要だし、英語教育も必要なのだ。