search this site:

Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アイデンティティー論 ― アイデンティティーとアイデンティティー認識


アイデンティティー(identity)を錯覚ではないと考えるならば、「私は私である」はアイデンティティーの認識(つまり、identification)として錯覚ではない。なぜなら、私が私自身を指して使う「私」は一意であり、アプリオリに誰を指すのかが明らかだからだ。その一意性は、アイデンティティーを仮に錯覚ではないと考えるのならば、その他の過去の精神活動の蓄積物から独立して存在する。ゆえに、記憶を完全に失っても、アイデンティティー認識は消えない。

スポンサーサイト

アイデンティティー論 ― 自明性


アイデンティティーは過去の精神活動の総体でもないし、そこから生み出される自己についての考えでもない。記憶を完全に失い、言語の記憶さえ失ってしまった人にも、なお「私は私である」という認識が存在する。もしその認識が存在しなければ、自分と他人を見分けることもできない。

思想の中核と辺縁 ― 先行経験の継承


マーク·ブキャナンの «複雑な世界、単純な法則»には、生物を構成する分子から国家を構成する人間まで、様々なスケールの物事に、かなり共通する法則がある旨が述べられている。結節点と経路を研究する学問として、ネットワーク科学は説得力を増しつつある。

会社に当てはまることは、ある程度、社会運動や国家全体にも当てはまる、という前提で、この話を進めていく。

ソニーのウォークマンはカセットテープを媒体とする携帯型ステレオ再生機として、市場に支持された。また、鋭い高音部を特長とする再生特性は、音楽の作り方そのものにも影響を与えたと思う。

ソニーは媒体の普及に応じて、CDウォークマンやMDウォークマンを出した。ところが、ハードディスクが普及してきたときに、HDウォークマンとなるべき 新製品開発を前に足踏みし、アップルのiPodの後塵を拝し、普及したフォーマットMP3ではなく独自フォーマットATRACに拘るなど、迷走を続けた。

ソニーの低迷は、テレビやディスプレイの分野にも見られた。"聖なる機器"トリニトロンに拘るあまり、省スペース液晶テレビに魅了される市場にそっぽを向かれた。

ソニーの失敗は経験の結果を継承しながら、経験そのものを継承しなかったことにある。MDウォークマンやトリニトロンという結果への執着は、それらの製品を開発した経験の継承をむしろ妨げた。

護憲派の失敗とソニーの失敗には似ているところがある。

太平洋戦争終結直後、少なくとも日本国内においては、日本軍は部隊レベルで自主解散した。GHQが1945年9月2日に解散命令を出したときには、日本軍の実体は既に存在しなくなっていた。憲法第9条はこの現実に対する追認だった。日本共産党以外に憲法第9条に反対した政治勢力はなかった。

個人を動員する体制に対し、個人が"否"を突きつけた経験を、大部分の護憲派はうまく継承できていない。

護憲派が今後も政治的な影響力を維持していくには、原点の再確認が必要だと私は思う。護憲派が規範とすべき事例の1つに、べ平連から派生したJATECが ある。彼らはアメリカ人脱走兵の亡命を支援した。彼らは憲法第9条についてはあまり語らなかったが、憲法第9条につながる経験の数少ない継承者だった。

日の丸や君が代を嫌う教師が卒業式を妨害するのは、憲法第9条に先行する経験の継承とは少々違う。そういう教師はむしろ、軍隊から去っていった旧日本軍兵士のように、卒業式の場を欠席すべで、生徒についても同様のことがいえるだろう。(経済の現状を考えると、400人に1人くらいが政治的な理由で卒業式への出席を拒否するのが、健全な日本社会の姿だと個人的には思う。)

朝鮮半島や中国[2007.10.28]では今でも強制徴兵制が行われている。韓国政府はほとんど韓国語を話せない在日朝鮮系の若者をも徴兵したことがあると聞く。この状況に何の 異議も唱えずに黙認し、韓国や中国の肩を持ち、日本の自民党を批判するのは、もう止めた方がいい。朝鮮半島人や中国人[2007.10.28]徴兵兵役[2007.10.28]を拒否したら、日本の護憲派は、徴兵を今でも続けているそれらの国々の政府を批判すべきだ。

護憲派は与党内にもいるが、彼らに対してもいいたいことがある。1964年の核実験で中国が核保有国になったあとも、日本は資金や技術の提供という形で、中国への経済援助を続けてきた。これではいくら護憲を謳っても、日本の国民を説得することなど期待できるはずもない。

教育論 ― 聖アグネス小学校の成功


いわゆる右派の方々の意見にはどうもしっくり来るものがない。学級崩壊の原因は日教組よりもむしろ、文部科学省だ。

学校で熱心に勉強し、会社の従業員として頑張ってきた世代が、リストラ解雇されて路頭に迷う ― そういう社会の現実を、子供たちは見ている。それなのに、教育の内容が社会の現実の対処していなくて、それもまた子供たちに見抜かれている。

私立の学校だが、アメリカにある聖アグネス小学校は投資家の間でちょっと知られた存在だ。聖アグネス小学校は子供たちに長期投資を教えている。いや、「教えている」というより、「考えさせている」といった方がいいかもしれない。

聖アグネスでは、小学生が株の仮想売買を行なう。主なルールは長期投資であること、および、投資対象の会社のビジネスを画用紙に描くことだ。

この教育のすごいところは、投資を扱っているということそのものではない。あらかじめ学校側が解答を用意しているような教育ではないということだ。

例えば、数学者はあらかじめ用意されていない答えを求めて、日々思考を巡らせる。会社経営でも、あらかじめ答えが用意されているのではない。人生にも、あらかじめ用意された答えはないのだ。

子供たちは新聞を読み、ニュース番組を視聴し、日々の生活を振り返りなどして、自主的にいろいろなことを学んだ。そして、専門家が推奨していた IBM以外の銘柄で大勝利を収め、ファンドマネージャーであったピーター·リンチは聖アグネスの教育を絶賛し、著書でも投資家の基本的心得として例示して いる。

愛国心批判 ― IV


「国」に相当する英語の単語は、"state"、"nation"、"country"の3つで、意味範疇が微妙に違う。

国旗や国歌の強制など、体制の都合に拘るのがステイティズム、国民の利益に拘るのが本来のナショナリズム、その土地の伝統などに拘るのが本来のパトリオティズムだ。

アメリカ南部の筋金入りのパトリオットたちは、星条旗を拒否し、南軍旗を使う。

フランス語の"patrie"は英語の"homeland"に相当する。(フランスの国歌La Marseillaise では"Allons! Enfants de la Patrie!"という行があり、大文字で始まれば意味がかなり変わるが。)

フランス革命史観もそれなりに批判されるようになり、ステイティズムとパトリオティズムの違いが意識されるようになったフランスでは、国歌が公立の学校で教えられることはほとんどなくなっている。国歌を強制するのは良くないが、国歌を教えないのも良くない傾向だと思う。国歌を教えなければ、国歌を喜んで歌う人間も、国歌を拒否する人間も表れようがない。問題の発見と解決に必要なのは、多様な人間の多様な視点なのだ。

アメリカやフランスの現実と比べると、自民党が音頭をとっている「愛国心教育」の、先進国の政治状況としては異様なまでの単純さは目立っている。「愛国心」を唱える自民党の連中は、あまり愛国心について考えたことがなかったのだろう。連立与党である公明党との協議の中で、自民党議員たちはようやくパトリオティズムを発見した。

愛国心批判 ― III


日本人とアメリカ人のクラシック音楽愛好家には、フィンランドの作曲家、シベリウス好きが結構多くて、私も例外じゃない。シベリウスの『交響曲第6番』はマーラーの『交響曲第9番』より美しいと思う。(これは誰がなんといおうと譲れない。)

アメリカの高校の数学のクラスで、私の右隣にフィンランド人の極めて美しい少女が座ってた。フィンランド人はシベリウスの『交響曲第2番』や『フィンランディア』を涙を流しながら聴く、と思っていた私は彼女に、「シベリウスを聴くことがあるか?」と尋ねてみたら、「ほとんど聴かない。興味ないの」とのお返事。

私は少なからず彼女に幻滅した。私のノートを食い入るように覘きこむ彼女、フィンランド人のくせにシベリウスの素晴らしさがわからないなんて、ダメだなぁ、と思った。

日本人で日本の文化についてよく知らないと、馬鹿にされることがある、というのは多分本当だ。私もシベリウスを知らないフィンランド人を馬鹿にしてた。

しかし、国の発展を左右するのは、自国の文化への個人の関心ではない。

数学の時間に、フィンランドの美少女は誰よりも熱心に勉強していた。私は面倒くさそうに彼女に数学を教えてた。

15年くらいたって、フィンランドが産業競争力で世界第2位になったとき、日本は第21位に転落していた。

ちなみに第1位はアメリカだった。日本の高校教師があれほど馬鹿にしていたアメリカが、日本よりはるか上になっていた。

愛国心批判 ― II


振り返れば、日本の高校に通っていたときに、社会科の教師が「日本の技術は世界最高」「アメリカも中国も21世紀までに倒れる」「アメリカの高校にいけば、マリファナを吸う男子生徒と妊娠する女子生徒がごろごろいる」とか教えてくれた。

まずいことに、アメリカに行ったらマリファナと妊娠の話は結構本当だったよ。他に、文系の自分がアメリカの高校の数学のクラスで教師以上に数学ができたりと か、日本を世界一だと思い込む体験にはこと欠かなかった。自分が日本人だってことがすごく誇らしかったよ。戦後日本を作り上げたのが自分ではないにもかか わらずね。

似たような体験は、当時海外に出た会社従業員とかも持っていたはず。

株バブル崩壊の約3年前、不動産バブル崩壊の約6年前 ― 日本人が自らの欠点や恥部を抉ることを忘れていた時代だった。

愛国心批判 ― I


日本人全体を見れば、愛国心を口に出さないけれど、愛国心そのものは強い人が多いと思う。私の父は新聞で日本の新技術とかそういう記事を見つけ出すと、喜 々として1時間はそれについて語る。特許貿易で日本はアメリカに対して大幅赤字なんだけど、それでも日本が世界一だと思っている様子。

父が読んでいるのは朝日新聞。国家体制に批判的な朝日新聞も、国家実体についてはものすごく愛国だ。

で、そういう父を私はちょっと馬鹿にしてたんだけど、あるときNHK特集でカシオの工場がフレクストロニクスに買収されたことを知った。カシオの工場に技術指導に来たのはブラジル人。

青天の霹靂 ― だったよ、あれは。しばし呆然としてた。それまで、特許では負けても、もの作りじゃ日本は負けない、と思ってた。神国日本への旧日本軍の信仰と、日本のもの作りへの私の信仰に、大差はなかった。

それからいろいろ調べていくと、液晶テレビで日本は中国に抜かれているし、ブランドバリューで日本のソニーが韓国のサムソンに負けてるし、アメリカのチェイニー副大統領の血管には中国製のステントが入っている。

『プロジェクトX』を見てたら、戦後の日本人は「日本はドイツに負けてる」とか「日本はアメリカに負けてる」とか思って、ミシンとか自動車とか開発してた。バブルの頃の日本人とは全然違う。

「日本のここがダメだから改善しよう」という発想につながる愛国心なら大いに歓迎すべきなんだけど、今政府が音頭を取っている愛国心教育にはそういうところが見受けられない。

宗教と神秘主義 ― I ― «ユダの福音書»


約1700年前に書かれた初期キリスト教の外典«ユダの福音書»の写本が2006年4月6日に解読され、米ナショナル・ジオグラフィック協会で公開された。この写本は、放射性炭素測定やインク分析などのかなり徹底的な分析により、本物であると認定されたという。その内容が驚くべきものだ。まとめると:

  • イエスはユダに裏切るように命じていた。
  • ユダはイエスを肉体から解放する役割を果たした。

イエスがユダに語って曰く、"お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである。"

この台詞の"わたし"はイエス·キリストの本質、いうなれば魂。そして、"この男"は肉体。

政治戦略として見ても、キリストの行動は興味深い。彼こそがマッチポンプ的な政治手法を用いた、最初の大宗教家といえるかもしれない。

写本は現在の政治にも教訓としてある程度の意義を有している。一見、敵のような人が味方だったり、味方のような人が敵だったり、そういうことは少なくないはずだ。

小泉純一郎が護憲派である可能性だって、完全否定できない。自らの任期中に改憲案を国会提出しないと明言し、改憲派の安部晋三を、次期総理になることが稀な官房長官の職に付かせているのは、他ならぬ小泉純一郎なのだ。

今そこにある搾取 ― Winny問題の背景


  • 組織が職員の自腹でノートパソコンを買わせている
  • 組織が職員に仕事をノートパソコンを利用して家庭に持ち帰らせ、無賃労働をさせている

こういう状況が解決しなければ、Winny削除ソフトを使っても効果は限定的だ。

Winnyそのものがウィルスということではない。Winnyでダウンロードされているウィルスは、電子メールやウェブサイトを介してもコンピュータに入ってくる。

職場のコンピュータと個人のコンピュータをきっちりと分け、仕事の時間と個人の時間をきっちりと分けなければ、次々に作られるウィルスに対抗できるはずもない。

思想の中核と辺縁 ― 憲法第9条


実は、憲法第9条は平和の理念を条文化したものではない。

1945年8月15日の終戦の玉音放送から程なく、日本軍は各部隊レベルで自主解散した。9月2日にGHQが日本軍に解散命令を出したときに、日本軍はもう存在していなかった。憲法第9条ができる以前に、日本は軍隊を持たない国になっていた。

日本国憲法の成立過程で、国会において憲法第9条に反対の意を示したのは日本共産党議員、それもたった1人だけだった。

憲法第9条は軍隊解散の経験への追認だ。

さて、平和運動寄りの人間としては稀なことだが、軍隊のみが国家主権を保証できる、と私は考えている。日本には軍隊がない。軍法会議や軍事裁判所を持たず、条件によっては隊員の脱走を効果的に防げない自衛隊は軍隊とは呼べない。自衛隊が命懸けで戦うことができることを期待できるのは、日本が侵略を受けた場合のみだ。

まとめると、自衛隊の存在は日本の国家主権を主張しているが、保証はしていない。

国家主権を保証できないのは良くない、と考えていた高校生の頃、私は改憲論者だった。

ところが、成長と共にいろいろなものが見えるようになった。

軍隊を持っている国の方が、なぜだか軍事的な理由で死ぬ国民の数が多い。

先進国を考えると、2001年9月11日に、世界最強軍隊を持つアメリカではテロ攻撃で数千人が死んだ。しかし、軍隊を持たない日本ではイスラム教徒のテロ攻撃がまだ起こっていない。

発展途上国が多い中米は長らく戦火が絶えなかったが、1949年以降軍隊を持たないコスタリカは例外的に平和だった。

アメリカが日本を守ってくれているということを否定はしない。それも軍隊をもたない日本の現実の一部だ。しかし、アメリカ軍は韓国にもいる。そして、軍隊を持つ韓国での北朝鮮による拉致問題は、日本のそれよりも遥かに深刻で、人数も多い。

intrinsic income

軍隊を持たない日本は、おそらく人類市場空前の復興と高度成長を成し遂げた国でもある。戦前の50年の成長を、戦後の10年が上回っている。

jevenile murders

また、日本は"犯罪天国"といわれるにもかかわらず、犯罪率が低く、少年による殺人犯罪率は低さは驚異的だ。デーン·アーチャーとローズマリー·ガートナーは共著«暴力と殺人の国際比較»で、戦争を遂行する国の犯罪率が一般に上昇することをつまびらかにしている。日本を戦争しない国にしている憲法第9条は、日本の治安維持にも貢献している。

憲法第9条を変える必要があるだろうか?

国内でも約300万人の戦争犠牲者、戦後の復興と高度成長、良好な治安などの具体的な経験を、偏狭な民族主義の理念で否定するのは愚かだ。それらの経験を覆すほどの大きな経験がなければ、憲法第9条を変えてはならない。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。