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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

経済思想と経済の実体 ― 所得税について

所得税の累進性は強いほどいい。

高額所得者に対して所得税率が極めて高く、所得税に対する法人税率や株売却益課税率の落差が大きいほど、会社で働いている高額所得者が起業家や投資家になろうとする動機は強まります。実際、北欧経済はそれで強いのです。

高い課税率を避けるために、起業や投資ではなく、海外移住を選択する人もいますが、これは全く問題ありません。

所得は誰かからもらったお金です。

例えば、日本人野球選手が日本で活躍する場合、そのお金は主に日本人観客からもらったお金です。日本人野球選手がアメリカの大リーガーになった場合、その選手の所得の主な源はアメリカ人観客のお金ということになり、日本経済にとっては全く何の問題もありません。

日本の大会社の高給取りがアメリカの大会社の高給取りになっても同様です。

投下労働価値説のS&B、試案と序論

(S&BはScratch and Buildの略で、これまで構築してきたものをいったん破棄して、最初から作り直すことです。)

まずは用語を定義することから始めます。

「価値」 … 財の効用の大きさ。

「価格」 … 公平な市場での取引を介し、財の価値を通貨で相対的に表したもの。

「事業サイクル」 … 事業の1回の回転のことである。多くの場合、現金の受け取りと分配を含む。事業サイクルを完了させなければ、事業は継続成長できない。

「労働力」 … 事業サイクルへの参加する人の労働能力の諸要素の総和。資本家が労働者から買う労働力は、資本家にとって人件費として量化され、労働者にとっては報酬として量化されうる。また、資本家自身も事業計画や事業経営という形で労働力に加わり、事業サイクルに参加している。

「労働」 … 価値の創造に投下されたもの。1つの事業サイクル全体に投下された労働は、事業サイクルの終点での産物の価値から、事業サイクルの始点での資源の価値を差し引いたものに一致する。生産量が2倍になっても、創造された価値が生産量に比例して増えなければ、投下された労働も生産量に比例しない。需要に対する生産の過剰分は価値の創造にはならず、よって、労働にもならない。

「利益」 … 事業サイクルから人が受け取る価値。ドイツ語では「Verdienst」、英語では「profit」

「利潤」 … 事業サイクルから人が受け取る価値から、事業サイクルに人が投じたその人自身の労働を差し引いたもの。ドイツ語では「Gewinn」、英語では「gain」。

「搾取」 … ある人が事業サイクルで創造した価値よりも、その人が事業サイクルから受け取る価値が小さい場合、その人は搾取されている。逆であれば、その人は誰かを搾取している。


労働単位をuで表すとします。

平均的な労働者が家庭で4uの価値を生み出すことができ、工場で働けば10uの価値を生み出して8u相当の報酬を通貨で受け取ることができるとします。

資本家の労働分が20uであるとしましょう。

資本家が100人の労働者を雇うと、労働者から受け取る利潤は+200uになり、自らの労働投下分で差し出す利潤は20です。よって、資本家にとってのサイクル終端での最終利潤は
200u − 20u = +180u
になります。

労働者は工場で働くことで、利益を4uから8uに増します。しかし、10uの価値を叩き出すのに8uの報酬しかもらえていないのですから、自らの労働について利潤は−2uになります。ただし、資本家から20の1/100にあたる+0.2uの利潤もありますから、最終利潤は−1.8uのということになります。

資本家の利潤と労働者の利潤を足してみましょう。

180 + ((−1.8) × 100) = 0

利潤は全体でゼロサムになります。事業サイクルへの参加者全員の利潤が0を超えることはありません。


資本家は労働者を超える速度で富を蓄積しますが、労働投下効率の向上による事業の成長速度が十分に大きい場合、労働者は搾取されつつも富を蓄積して豊かになっていきます。しかし、労働者はほぼ常に搾取されているので、資本家と労働者の格差は広がっていくばかりであり、どこかで政体が何らかの調整をしなければ、経済は広がりすぎた格差により破綻に向かうことになります。

マネタリストにおける負の所得税案浮上の必然性

マネタリストは政府の財政出動ではなく、政策金利や中央銀行にある商業銀行の口座を調整して、過度の好況や不況に対処しようとします。政府がお金を使うのではなく、中央銀行がお金を配るのです。

しかし、商業銀行が貸し渋れば、そこでお金が滞り、マネタリストの政策は失敗します。それを回避するには、商業銀行を迂回して、お金を配らなければならない。マネタリストの経済政策理論を完璧にしようとすれば、負の所得税という案が浮上するのは必然だったと思います。

しかし、負の所得税という制度を導入しようとすると、為政者は法の支配と法治主義の境界ぎりぎりまで踏み込むことになるでしょう。

マネタリストとしてフリードマンはそのぎりぎりまで踏み込んだ主張を述べた。

家庭用ゲーム機の興亡から考える計画経済の功罪

アタリ社が出した家庭用ゲーム機は一時はとても売れましたが、参入条件をあまりに野放図にしていたため、粗悪ゲームが大量に出回り、ゲーム機が売れなくなるなりました。これがいわゆるアタリショックです。計画しないと失敗することがあります。

任天堂はゲーム制作会社を厳しく査定することで、アタリショックの再来を回避しました。市場の側から見ると、任天堂は需要のあるゲームを作らせることに成功したことになり、労働価値説の側から見ると、任天堂は労働の投下の効率性を上げたことになります。計画したほうがうまくいくことがあります。

ゲームの需給市場が成熟し、ゲーム雑誌でゲームについての情報が十分に得られる時代になると、参入資格が緩やかで、個人にも安価な開発環境を提供するソニー陣営の方に人気が集まり、ソニープレイステーションが任天堂スーパーファミコンよりも基本性能が高かったこともあり、業界で最高水準の技術を持っていたスクウェアなどを始めとする多くのゲーム制作会社がソニー陣営に鞍替えしました。計画しなくてもうまくいくならば、計画しない方がいい。

最近の任天堂は若年層とかつてはゲームをしなかった人々にゲーム市場を拡大し、再びゲーム業界を牽引するようになりました。ゲーム雑誌を読まない層のためには、やっぱり計画したほうがいい。

結論としては、もはや自明に近い、計画すべきことは計画すべきだし、計画しなくてもよさそうなことは計画しない方がいいかもしれない、ということに尽る。しかし、ここからがまた難しい。計画すべきだということがはっきりするまでは計画しない方がいい、という考え方と、計画しなくてもいいということがはっきりするまでは計画したほうがいい、という考え方の間には、かなり幅の広い溝があります。

「労働力」と「労働」

リカードの定義を使うと、価値に反映されているのは、「支配された労働」ではなく、「投下された労働」です。マルクスの定義を使うと、何人の「労働力」を使ったのかではなく、その労働力から引き出した「労働」が価値に反映されるのです。

ゆえに、100人の労働者で作った農作物と、トラクターと10人の労働者で作った農作物が同じ価値を持つということは当然あり得ます。価値に反映されるのは労働力ではなく、労働であるからです。

ダメなデザイナー100人の妥協点としてのバッグよりも、優れたデザイナーが1人で考え出したバッグの方が、大きな価値を持つかもしれません。

つまり、マルクスは最初から市場で需要のある財を作ることを意識していたことになります。もしそうでなかったとしたら、労働力と労働を分ける必要性もなかったでしょうし、計画経済を考えることもなかったでしょう。