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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

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音楽 ― ヘルベルト・フォン・カラヤン


カラヤンを嫌う人にも、最初はカラヤンを好んでいた人が多い。

カラヤンは本当にある意味素晴らしい。

ドイツ人とロシア人はパスバンドが広く、他の民族にはよく聴き取れない音も聴き取ることができます。

日本人はパスバンドが狭いため、クラシック音楽を聴く習慣のない日本人に、ドイツ人の心の中で響く音になるべく近いものを聴かせようと思ったら、日本人にとって聴きづらい波長域の音を増幅する必要があります。

カラヤンはある範囲の波長域を非ドイツ系向けに調整した、と私は確信しています。

ローカルにしか響かなかったドイツ音楽を、カラヤンはグローバルに響かせました。そして、「奇跡のカラヤン」と讃えられました。

ところが、誰しもある程度クラシック音楽を聴く経験を積むと、それ相応に耳が鍛えられてくるので、今度はカラヤン的な増幅を好まなくなってきます。

あなたが昔はカラヤン好きで、今はカラヤン嫌いなら、あなたもまた、カラヤンに育てられた聴衆の一人なのでしょう。

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音楽 ― 『だんご大家族』


←クリックで拡大。

京都アニメーション制作の『CLANNAD』のエンディングテーマをスペクトラム分析してみた。

冒頭にボーカルと旋律パーカッション(マリンバかシンセ?)の同度ユニゾンがあり、最後の30秒くらいも同様のユニゾンだ。この間、ほかの楽器は一切鳴っていない。ボーカルも1人だけだ。

図の中で赤色は各周波数帯のピークボリュームを、薄紫は各周波数帯の35秒平均ボリュームを表している。つまり、薄紫はユニゾン部分の分析結果だ。

この同度ユニゾン部分の帯域の厚みに驚かされる。

声だけだと周波数帯域の細い音楽になってしまうが、倍音を豊かに含むパーカッションをテンポ等間隔刻みではなく、ボーカルに完全追従させることで、帯域をうまく膨らませている。

これと似たようなことをやった作曲家としてまず思い浮かぶのは、ドビュッシーと並んでフランス印象派を代表するラヴェルで、『ボレロ』では金管楽器の旋律にスネアドラムが追従して、周波数帯域を膨らませている。

音楽 ― プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』


基音とその倍音だけでできている音を楽音という。理論数学的な純粋さを要求水準にすれば、完全な楽音というものはありえない。現実的な意味では、歌声、管楽器、弦楽器の音は楽音といっていい。

一方、打楽器の音はさまざまな音が混じりあっていて、もっと複雑だ。打楽器には五線譜の上に音の高さを表すのが難しい楽器が多い。こういう音を噪音という。(騒音、ではないので注意。)

噪音は非常に厚い和音と同じようにバランスに貢献するので、噪音を多く取り入れることで、音楽は面倒な進行のルールから全面的に解放される。ドラムのおかげで、ピアノやベースなどの楽音楽器をより自由に使えるようになる。

『ハートブレイク・ホテル』はもちろんどこかで聴いたころのある曲だったが、今回はちゃんと聴いてみた。

静かだ……現在のロックと聴き比べると、とにかく静かなことが目立つ。

コード進行が薄い。全体の音量が小さいところでは、ヴォーカルとベースだけが鳴っている個所も多い。ヴォーカルの魅力を生かすために、対位法的な束縛が厳しい展開を、編曲者はあえて選んでいるようだ。

ドラムの音もつぶやくようで、主張しすぎない。しかし、ヴォーカルは重要だ。特に音量が大きくなるところでピアノと一緒に鳴り、ドラムはヴォーカルとピアノを爆発的に解放にする。

『ハートブレイク・ホテル』の約2分間の比較的静かな演奏の中に、束縛と解放が目まぐるしく交差しながら展開する。この2分間はロックの縮図であり、人類の歴史の縮図でもある。

音楽 ― ブラームスの弦楽六重奏曲op18のピアノ編曲版


まず最初に、和声学の話をしよう。

和声学を学ぶ時には、四声体というもので課題を解いていくことになる。四声体はソプラノ、アルト、テノール、バスという4つの声部でできていて、四声で和音を作り、つなげていく方法論が、まあ、和声学のほぼ全てといっていい。

四声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。代表例は、五度(ドとその上のソやレとその上のラ)とか、八度(1オクターブ)の平行進行はいけない。

ところが現実のピアノ曲、それもクラッシック音楽の歴史に燦然の輝く作曲家の作品には、五度や八度の平行進行がバシバシ出てくる。そして、音楽教師たちはしばしば「ここはオクターブを1つの声部と見なす」とかわけわからん説明をするので、しばしば生徒たちに大きな誤解 ― 「和声学って、実際の作曲には意味がない」という思い込み ― を生む。

しかし、和声学の実践の前提をもう一度見直してみよう。

四声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

声体での和声進行には、いろいろと禁則がある。

和音を構成する音の数が4つしかないと、バランスが崩れやすく、進行には厳格な禁則があるが、音の数が増えてきたら、禁則はある程度無視できる。そして、その無視の程度に作曲家の個性のかなりの部分が現れる。

シューマンの『飛翔』では、四声体での禁則を外れている部分では、必ず声部が増え、和音が厚くなっている。一見薄そうな部分でも、後打ちでちゃんと十分な厚みが確保されている。

しかし、そのシューマンの妻に横恋慕していた ― らしい ― ブラームスの作品には、とても大胆な感覚を示しているものが結構あって、弦楽六重奏曲op18のピアノ編曲版はその顕著な例の1つだ。

 第39小節には、部分的に分散された、8つの音で構成された和音が連結されているが、八度の並行が4つ、五度の並行が1つ、同時に発生している。当時としては冒険だったはず。

第81節から数小節分には、純然たる四声体であるにもかかわらず、八度の並行が発生し、和声学の禁則はどういい繕いようもなく破られている。

禁則についての感覚においては、若き日々のブラームスって、ドビュッシーに似た感覚を持っていたんだよ。

(いや、あるいは、「禁断の恋」の暗示か?)

音楽 ― Oui, oui, oui, mon cher ...


フランス語なんだが……

Si je pouvais faire ceci, si je pouvais faire cela,

Ce rêve-ci, ce rêve-la, il y a beaucoup de rêves.

Tous ces rêves, tous ces rêves, il fera tous possible.

Avec sa pochette marveleuse, il les fera venir vrai.

Je veux voler librement, librement au ciel.

Voici le takékopteur!

Oui, oui, oui, mon cher Doraëmon, Doraëmon.

こいつを『ドラえもんの歌』のメロディーで、口を心持ち縦に開く感じで歌ってみよう。ただし、「Doraëmon」の「n」ではなくて、「ë」を引き延ばす。

声色と語学力と歌唱力次第だが、きっちりオペラに聞こえることもある。

『ドラえもんの歌』はロマン派初期のオペラに似ているのだ。

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