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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

トルコがEUに入るのが難しい理由


2006年まで、トルコに暮らす外国人の登録証の宗教欄には、当人が信奉する宗教が何であれ、必ず「イスラム教」と書かれていた。

2012年に宗教欄に他の宗教名を書いたり、空欄にしておくことが認められるようになったが、以前からトルコで暮らしていた外国人の登録証の宗教欄の変更は認められなかったらしい。大量の「棄教者」が出てしまうからだろう。

2016年にシステムが電子化される際に、政府は宗教欄を削除することを約束していたのだが、今なお、宗教欄は電子データの中に残っている。

これではトルコがEUに加盟できるはずもない。

第552回「幽霊っていると思う?」


こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは、「幽霊っていると思う?」です。この季節になってくるとテレビで盛り上がるのが心霊番組。幽霊を見たーとかいるわけない!といったような話題があがりますねー。ほうじょうの兄弟が昔、トンネルの中で白い格好の女の人が道のど真ん中に立っていた... FC2 トラックバックテーマ:「幽霊っていると思う?」

心の中の肉体の形の記録が他人に見えると、そいつが幽霊です。

いるのですよ~。

でも、怖がらなくてもいい。

肉体から離れた魂は、幽霊を引きずりながら、あちこちをうろちょろするものです。

ちょっと記憶力のいい人なら、そういうときのことも覚えています。

宗教と神秘主義 ― 強い唯物論、弱い唯物論


哲学的な意味での唯物論における「物」は、時空間上に位置を持っている。

ユダヤ教やキリスト教の「神」は「天」という空間にいるので、哲学的な意味では「物」であり、万物の起点が物である以上、ユダヤ教やキリスト教は唯物論宗教ということになる。キリスト教をベースとした中世スコラ哲学でも、例えば、個々の人間の存在は一般イデアに依存せず、それ自体として存在し、私たちの心にある人間についての概念は「唯の名前に過ぎない」という唯名論としても表現されている。

日本の神話が唯物論神話であることは、もはや、いうまでもなさそうだ。

伝統的な宗教も、最近の「スピリチュアル」も実は大差がない。霊魂が何かに宿るならば、霊魂は時空間上に位置を持っているのだから、「物」ということになる。

「物」の存在の確認において、堅牢な一般合意 ― 科学的な証明など ― を要求するのが「強い唯物論」であり、通俗的な意味での「唯物論」になる。一方、堅牢な一般合意を要求しないものが「弱い唯物論」であり、通俗的な意味での「宗教」や「スピリチュアル」になる。

弱い唯物論であるキリスト教と強い唯物論であるマルクス思想の間の隔よりも、唯識論と唯物論の間の隔たりは大きい。

唯識論~唯物論のスケール上に宗教の神格を配置すると、多分、以下のようになる:

唯識論

  • 老子の「道」 ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。(再帰的に定義されている。)
  • プロティノスの「一者」 ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。(列挙的に定義されている。)

  • アリストテレスの「第一動者」 ― 森羅万象(「円環」)の最外部に位置し、量と形体を超越し(「大きさと部分をもたない」)、森羅万象を起動し続ける。
  • ムハンマドの「アッラー」 ― 森羅万象を創造かつ維持し、暗に部分を有し、人間の営みに介入する。
  • モーセの「イェホヴァ」 ― 森羅万象を創造し、暗に部分を有し、人間の営みに介入する。
  • キリストの「父なる神」 ― 森羅万象を創造し、父性を有し、明らかに部分を有し、人間の営みに介入する。
  • ギリシア神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からある程度の影響を受ける。
  • 日本神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からかなりの影響を受け、徐々に劣化する。(ついでにいうと、天皇位の継承に血統が絶対なのも、日本の思想体系に強い唯物論が色濃いことを示唆している。)


唯物論

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水平線は唯識論と唯物論の境界。各種「スピリチュアル」ってのは、キリスト教と日本神話の間に散りばめられている。

資本主義と強い唯物論に疲れちゃった我々


まあ、まず乱暴に前提を提示することにする。我々は資本主義と強い唯物論にかなり疲れていて、「スピリチュアル」なもの ― その大部分は、弱い唯物論なんだが ― に嵌りやすくなっている。

特攻隊も、オウム事件も、日本人にとって決定的な教訓にならなかった。

細木和子のヤクザ風スピリチュアルが一世を風靡し、その後、社会状況が厳しさを増したら、今度は江原啓介と美輪明宏のオカマ風スピリチュアルが人気を集めている。スピリチュアルな説教屋がここまでテレビで稼げた時代があっただろうか?

アメリカのブッシュ大統領すら、スピリチュアルなキリスト教原理主義に嵌ってる。彼もまた、疲れちゃった人なんだよ。

そして、スピリチュアルブームの陰で、見過ごされる問題もある。

イスラム圏ではまだまだ女子に対する割礼(女性器をがさっと数センチも抉る残酷なもの)が行われたり、恋をした罪で少女が家族に焼き殺されたりするような地方もあり、1990年代までは人権擁護運動でこのような問題への対処が熱心に試行されていたが、今では少なくとも日本社会でこのような問題への左派(自由主義的社会主義勢力)の批判精神は減退してしまっている。イスラム教もスピリチュアルだからね。

チベット問題ではもちろん、中国に弾圧されている人々の人権を擁護するための努力は必要不可欠だ。しかし、スピリチュアルな亡命チベット政府に肩入れするのはまずい。(この亡命チベット政府に寄付でもした人がいるんじゃないかな? なんせ、これを書いている私もそうしたことがあるくらいだから。他人事じゃなくて、私も疲れてる。)

スピリチュアルな人が善人だとは限らない。

疲れちゃってる我々は、「スピリチュアル」なものに対して本来は当然である疑念を意識的に自らの内部に喚起しなくては、善悪や利害についての判断を大きく間違えてしまうことがある。

ところで、童話とか、東西の神話とか、『ロード・オブ・ザ・リング』とか、組織的な信仰に頼らずとも長く愛されてきたファンタジーものは、スピリチュアルなものの魅力と危うさをそろえて教えてくれる。邪悪な魔法使いが登場するのを忘れちゃいけない。

宗教と神秘主義 ― 虚無と諸思想


ユダヤ的な発想では、神は資源であり終焉であるので、「その前」は存在しない。時間も神によって作られたことになります。天(空間)もまた、神によって作られたことになります。

こういう発想は、グノーシス神話に通じるものがあります。ユダヤ教から分化したキリスト教にも、グノーシス派なるものがあります。アインシュタインの相対性理論はグノーシス神話的で、絶対時間を否定します。

そもそも、我々人間は、時間を見たことがありません。我々は太陽の動きや時計の動きを見て、時間という考えを持っているにすぎません。

絶対時間の経過によって森羅万象に変化が起こるのではなく、森羅万象の変化を観察する人間の思考に、時間という概念が生まれる、とも考えることができます。

ただし、ユダヤ教の神は人格神であり、人格神と絶対神は本質的には矛盾しています。人格は相対的なものだからです。

つまり、虚無または混沌こそが、実は絶対神のはずであり、プロティノスや老子はそういうところを正確に認識しているという点では、ユダヤ教より奥深い。