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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

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教育論 ― 中国の一人っ子たちと詰め込み教育


中国の一人っ子たちと詰め込み教育の状況を見ると、中国は近い将来にこける、との確信を強めさせられます。

人間の記憶力の型には、世界観、技能、出来事と事例があります。

世界観の記憶は、例えば、「コップに水を入れると保持できる」「ドアは開いて通るものだ」のように、事物の存在意義についての基礎的記憶で、乳児期にもっとも活性化してします。(その一方、乳児には出来事を記憶する能力がほとんどないので、このころのことをたいていの人は覚えていません。)

技能の記憶は幼児期から思春期前の期間で最も活性化するので、それくらいの年齢の子供に教えるのは、算数、語学、スポーツ、楽器の演奏などが適しています。(IQが200の天才児で特に突出しているのは、数学や物理学の方面での理解ですし、バイオリンやピアノで神童といわれる人が世に出るのもこのあたりの年齢です。)

出来事と事例の記憶は思春期に最も活性化します。青春時代の思い出が色鮮やかなのも、出来事と事例の記憶がとても活性化しているからですね。暗記ものはこのころにやらせるのがいいのです。

順番を間違えると、教育は人間の能力を効率良く引き出すことができなくなり、また、教育を受ける子供の側に大きなストレスを生じさせます。子供に老成を強いる儒教が輩出した人材が、子供を子供らしく育てる近代教育革命後の人材に屈したのも、このことに関係があるかもしれません。

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型と教育と社会


(この記事はhttp://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-48.htmlのミラー)

(元ネタは、http://www2.ezbbs.net/cgi/reply?id=kouzou&dd=09&re=2227に書いたいくつかの投稿。この投稿はまとめと補完)

近代以降の教育における革命の1つは、子供に老成を強いることをやめ、子供を子供らしく育てるようになったことだ。そしてこの革命を受け入れた国々が、おおむね、世界人口の豊かな10%に重なる。

知能の高い動物ほど、子供時代が長い。

日本人の子供って、たいていは幼稚だ。国際交流の場に出ると、その幼稚さの露呈に引率者が赤面することも多々ある。けれど、その幼稚さこそが日本の強さだ、ってことに、引率者の方々には気が付いて欲しい。子供が老成してしっかりしている発展途上国と日本の経済格差は、まだまだ埋まらない。途上国の彼らはずっとずっとずっと貧しく、そしてこれからも長い間そうだろう。

さて、高校で社会奉仕が必修化されたようだが、私はそれに反対している。社会奉仕の必修化は子供に老成を強いることだ。これは良くない。

当人の意思に基づかない社会奉仕は意義希薄だ。自主性や自発性を阻害する危険性をも孕む。

それに、社会奉仕はたいてい正しいのだけれども、全員でいっせいにやるとまずい。個人レベルで正しいことでも、全員でいっせいにやるとたいていうまくいかない。たとえば、明日から日本人全員がいっせいに倹約熱心になったら、日本経済は間違いなく破綻する。

念のためにいっておくと、学校が子供をして社会奉仕に興味を持たせるために、さまざまな任意参加機会を提供することには大いに賛成している。老成を促すのはよろしいが、強いるのはよろしくない。

老成を強いるのは、強制的に型にはめることの一種だ。

人間は型を好む。型にはまることは成功への近道で、ほとんどの人間は型を求め続ける。型への需要はとても大きいので、書店には型の本がたくさん置いてある。株の短期売買のように、混沌とした市場を相手に勝負するためにも、型本は用意されている。恋愛にも型本が多く出ていて、よく売れる。人生全般について型を語る人には人気があり、細木数子の番組の視聴率は安定して高水準だ。

ちなみに、私は細木数子を嫌わない。彼女は保守的だけど、その保守性は直接的に個人の利益を志向している。彼女はかつて「日本人は明治維新で駄目になった」と語っていたことがあるし、子供たちに強制集団生活をさせるべきだと主張する熱血馬鹿教師には批判的だった。あなたが個人として単純で平凡な幸せを求めているんだったら、細木数子のいう通りにしていれば正解。(この投稿の主眼はもちろん、そんなところにはないけれど)

型にはまる人は常に余り、型破りな人は常に不足する。この不足が深刻化すると、社会は機能不全に陥る。型破りなことはリスクを引き受けることだ。誰かがリスクを引き受けなければ、社会全体が大きなリスクにさらされる。戦前戦中の日本は閉塞によるリスク増大の代表例の1つだ。

型破りな人の人生は波乱含みになり、苦労も多い。型にはまった失敗よりも型破りな失敗を遥かに手厳しく責めたてる悪癖 ― 横並び強制力 ― を、たぶん生まれながらに我々は持っているので、型破りさんにつらい思いをさせてしまいがちだ。

個人に型破りを強いるのは難しい

だから、自らの意思で型を破ろうとする人がいればなるべく叩かないほうがいい。型破りな人は叩かれてもやっぱり型破りであり続けるだろうが、活躍の場を求めて外国に出て行かれてしまうと、国や社会にとっては損失じゃないかね?

また、どうせ大人になればたいていの人は型にはまるものなので、子供のうちから型にはめようとしないほうがいい。

体制主義と個人主義って、このあたりで矛盾しなくなる。体制の繁栄の本質を理解するときに、体制主義者は同時に個人主義者ともなるだろう。

私は個人主義者なんだけど、最近、自分が体制主義者を兼ねていることに気が付くようになった。

教育における社会奉仕の義務化


個人主義者としては当然、公教育における社会奉仕の義務化には反対する。子供にとって、教育は利益権だから、社会奉仕によって子供に具体的な利益が生じることが証明されない限り、社会奉仕の義務化は不当だ。

社会奉仕は子供に老成を強いる。これは社会全体の未来を考えると著しくまずい。近代教育の最大の革命は、子供に老成を強いるのを止めたことだ。子供を子供らしく育てることで、子供は潜在能力をより大きく開花させる。近代以前の教育は、近代以降の教育に完敗してきた。

社会奉仕の義務化は、近代以前の教育への部分的回帰だ。

負け組モデルに回帰してどうするんだ?

教育基本法「改正」案批判


結論からいえば、「改正」案は実際のところ改悪案だ。

現行第2条:

教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

「改正」案第2条の5:

伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

伝統と分化を尊重しすぎると、発展はない。最初から保守的な人間を作ることを教育の目標にする国は、程なく国際社会の負け組になってしまう。

初等中等教育の学科


個人的な見解では、最も重要なのは数学です。数学は世界のどこに行っても価値があります。

次に重要なのは英語です。英語は地球上で最も広く話されていますが、日本国内ではあまり話されていないので、放っておいては日本の子供たちの身につきません。

3番目は国語です。自国語が3番目というのは奇妙なことですが、日本語圏には絵と文字の両方を駆使するマンガがありますので、日本の子供たちは文字を覚えるのにあまり苦労しないのです。

4番目は、あえていいますが、音楽です。ドイツ人作曲家がうまく和音を付けられず、最初と最後が不自然なユニゾンになっている君が代の格好悪さを気にしない日本人って、音楽センスが悪すぎです。

5番目は保険体育です。今世紀の終わりごろには、人類の体がHIVに対して免疫性を持つようになり、エイズは風邪みたいな病気になるでしょうが、それまであと80年くらいかかります。

6番目は社会です。もっと経済の仕組みを十分に教えてください。

7番目は理科です。理科をあまり重視していないのは、生きているだけで、自然はいつも最高の教師としてそこにあり、人間はどっちにしても、自然と比較してあまりいい仕事が出来ないからです。

8番目は家庭科です。文明の利器の発達で、料理は簡単になりました。ニンテンドーDSが細かいところまで教えてくれます。

9番目が図画工作です。この分野は才能がものをいうので、才能のある人には教えなくてもいいし、才能がない人には教えても無駄です。

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