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Chaotic Neutral

左にも右にもよらず、自由な生き方探し。

権利について ― 内乱と人権の限界


主である織田信長に対して叛逆した明智光秀は、信長を殺害することに成功したが、信長の家臣であった羽柴秀吉に討たれたとされている。

信長の人権は光秀に侵害されたのか?

光秀の人権は秀吉に侵害されたのか?

無論、当時に人権概念はないのだが、現在の我々の法治主義や法の支配の実装を基準にしても、光秀や秀吉の人権が侵害されたとはいえないのではないか?

今度は、江戸時代の日本国内のキリスト教徒について考えてみよう。彼らは江戸幕府によって弾圧された。当時の日本にもまだ人権概念はない、あるいは、希薄であるが、現代の我々から見れば、彼らの人権が弾圧されたような感じはする。だが、島原の乱の首魁である天草四郎の人権が侵害されたとするのには無理がある。

ガンジーらによるインド独立運動では、イギリス軍の兵士による発砲で100人を超える犠牲者が出た。民族自決の原則と人権概念が確立した後のことだが、このことをイギリスによる人権侵害の事例として捉えている学者にも政治家にも出合ったことがない。ガンジーもそんなことはいわなかった。

国家としての独立や信託統治領としての高度な自治を求めて具体的な行動を起こせば、それはもはや内乱である。既存の統治機構は、当然、内乱の権利を認めない。内乱の権利は意思説的権利であり、その意思があればその権利がある。が、その権利の行使が認められるかどうかは権利行使者の実力次第だ。

チベットでラマ僧が独立や高度な自治を求めて行動を起こし、その結果、中国人民軍兵士に銃殺されたとしても、少なくとも諸国首脳の観点からは、ラマ僧の人権が侵害されたとは認知しにくい。自分たちの国においても、内乱の権利なんて認めることはできないからだ。

国家の転覆や民族の独立は、少なくともその指導者にとって、命がけになる。

その覚悟なき者には戦う資格がない。

同志が殺されたことを人権侵害だとして誰かに泣きついた時点で、革命勢力や独立勢力は既存体制と対等以上ではなかったことを認めたことになり、それは敗北宣言に等しい。

権利について ― V


意思説における権利はオプションだ。使うか使わないか、それは個人が決めること。

権利ってお金と似ている。権利もお金も、持っていることそのものに、かなりの意味がある。

世の中のたいていの人は、お金がそれほど好きではない。彼らはお金で買えるものを好む。

国籍離脱権の話を聞くとすぐに、"それだけ日本がイヤなら、憲法22条に従って、国籍を離脱したらいいのに"という人は、"お金がそれほどあるなら家を買えばいいのに"という人に似ている。

ところで、私には、国籍離脱権以外にいろいろな権利がある。順序としては、まず、それらの権利を使って自分の生活、社会、国家体制を自分の理想に近づけるように努力するべきだ。

いいかえれば、権利を行使して、さらに大きな権利を手に入れようと努力すべきだ。

お金に喩えるならば、お金を投資し、さらに大きなお金を手に入れようとすることに似ている。

しかし、神ならざる私は全能ではないから、権利も取引口座も小さくなる可能性がある。

投資対象の状態が悪化し、損切りが必要になることもある。損切りをすれば、取引口座の消滅を免れる。同じように、体制が個人の権利を急激に縮小しようとすれば、個人は国家体制について"損切り"をする必要がある。それが国籍離脱。

権利について ― IV


日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

ここでの権利は、明確に、意思説における権利のことだ。

また、全ての権利には保持義務が伴っている。

よって、日本国憲法が権利に偏っているという主張は正しくない。

権利について ― III


日本国憲法、第1条
> 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
> この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

この条文における主権とは、国政の権能の源として国民が持つ
権利の総体のことだろう。

これによれば、国民の権利は、主権として行使される場合、
歴史や伝統に妨げられない。

また、ここでの権利は意思説的に定義されている。
だから、"総意"という言葉が使われている。
天皇の地位について、国政の場で、
後に国民に不利益となる取り決めがなされても、
国民がそれに反対する意志を総体としてあらかじめ
示していなければ、国民は政府に補償を求めることはできない。

権利について ― II


ハイポリティクスはたいてい意思説を採用する。
防衛庁長官時代の石破氏は、日本国憲法が禁じているところの
"戦争"を"侵略戦争"と解釈した。
これは意思説によるもので、私は石破氏に嫌悪感を禁じえないものの、
"戦争"についての彼のその解釈は正しいと思っている。

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